おらは魔法使い?

第十二章 西の魔法使いの最期

(これは……? 水が光っている)
 そのことに気づいたのは弥勒だけだった。
(かごめさまの霊力か……!)
 かごめがずっと身につけていた四魂の玉は、かごめの霊力を吸収し、清浄な光を帯びて、玉を浸した水を霊水に変えた。
 そして、かごめの怒りがその浄めの力を極限にまで引き上げたのだ。
「おのれ、小娘!」
 あまりにも意外なかごめの行動に、奈落は彼女がぶちまけた桶の水をよけることができなかった。
 そして、四魂の玉によって霊気を帯びた水をかぶった奈落は、己の身体がしゅうしゅうと溶けていくのを感じ、愕然となる。
「く――! 小娘、きさま、この水に何をした!」
「奈落の身体が……」
 眼を見張る珊瑚と琥珀。そして、犬夜叉とかごめ。
 苦しみに顔をゆがめる奈落の身体がみるみるうちに変化していく。
 人の姿から、蜘蛛の姿へと。そして巨大な蜘蛛は、全身から白煙を立ち上らせ、その場でのたうちまわった。
「あれが奈落の正体なのでしょう。かごめさまの持つ浄化の力が四魂の玉によって増幅され、水が霊水となって奈落の妖力を無に帰しているのです」
 もがく蜘蛛の脚が、苦しげに床に落ちた四魂の玉へと伸ばされた。
 自らの瘴気を注ぎ込み、浄化の力を弱め、玉を体内に取り込むつもりらしい。
「そうはさせるか!」
 鉄砕牙を抜き払った犬夜叉が巨大な蜘蛛の足を次々と薙ぎ払う。
「ぐうぅっ」
「飛来骨!」
 形容しがたい呻き声をあげ、糸を吐き出して城外へ逃れようとした奈落へ、珊瑚が飛来骨を放った。
 太い束になった糸が切断され、蜘蛛の身体も真っ二つに両断された。
「やった……?」
 しかしそれでも、奈落は最期のあがきとばかり、自らの四肢の再生を試みようとしている。
「かごめさま、四魂の玉でとどめを!」
 はっとしたかごめは素早く玉を拾って台所の大甕から桶に水を汲むと、そこに再び四魂の玉を入れた。
「お願い、もう一度」
 祈るようにつぶやくと、水は先ほどよりも強い光を帯びた。
 最初の霊水の力であらかたの妖力は失いつつあるようだったが、それでも残った力を振り絞り、奈落はじわじわと斬られた身体を元通りにつなげようとしている。
「これで最後よ、奈落!」
 かごめは、桶の水をのたうつ半妖に浴びせかけた。
 しゅうっ!
 断末魔の叫びを上げ、妖蜘蛛は霊水に溶け、次第に小さく縮んでいく。
 そして、人間の頭ほどの大きさになったとき、歩み寄った弥勒が錫杖でその身を打ち砕いた。
「あ……」
 琥珀が驚きの声を洩らす。
 蜘蛛の形をしたものは、霊水に溶かされた名残りの煙をしゅうしゅうと立ち昇らせながら、まるで砕かれた化石のような骸と化していた。
 これが邪悪な魔法使いの最期なのか。
「やったの? 本当に……?」
 法師の傍らに来た珊瑚が不安げな声で西の魔法使いの変わり果てた屍を見つめた。
 その場はしばらく水を打ったように静まり返っていたが、ややあって、数珠玉の触れあう音がし、緊張した面持ちで弥勒が右手の数珠を解いた。
「法師さま、風穴が……!」
 法師より先に声を上げたのは珊瑚だった。
「風穴、消えてる……」
 涙声でつぶやき、眼を見張って彼を見上げる珊瑚を力強く見つめ返した弥勒は、小さく口許に笑みを刻み、うなずいてみせた。
「ここは台所ですな。琥珀、塩はありますか」
「は、はい」
 棚の上に並んだ壺のひとつを急いで選び、琥珀は法師のもとへと駆け寄った。
「これです」
 壺の中の塩をひとつかみ手に取ると、法師はそれに念を込める。
「奈落には再生能力があるようです。万一に備えて、屍にはこの塩を混ぜて埋め、封じましょう」
 かごめが恐る恐る西の魔法使いの残骸近くまで歩み寄り、落ちていた四魂の玉を拾い上げた。
 ふうっとため息を吐いた犬夜叉が鉄砕牙を鞘に戻す。
「終わったのかい?」
 そのとき、彼らの後方から女の声が聞こえた。
「てめえ、神楽!」
 屹となった犬夜叉がかごめをかばって鉄砕牙の柄に手をかけた。
 神楽の横には神無もいる。
 弥勒も珊瑚も表情を引きしめ、新たな戦闘の態勢に入ろうとした。
「おっと。あたしらは奈落の仇を討ちに来たんじゃねえよ。奈落にそんな義理はねえ」
「ふざけるな。何故、おれたちを助けた。恩を売ったつもりか」
「犬夜叉さま」
 半妖の少年を制したのは琥珀だった。
「何でとめるんだ、琥珀! やっぱりおめえも奴らの仲間か」
「琥珀」
 珊瑚もわずかに表情を強張らせたが、琥珀は冷静に首を振った。
「神楽は本当の敵じゃない。心ならずも奈落に従っていただけです。犬夜叉さまたちが囚われていることをおれに教えてくれたのも、神楽なんです」
「なんだって?」
 かごめを攫い、本気で戦闘を交えた相手だ。
 容易に信じろと言われても慎重にならざるを得ない。
 犬夜叉に代わって弥勒が口を開いた。
「しかし、神楽。おまえは奈落のしもべなのだろう」
「好きで従っていたわけじゃねえよ。奈落はあたしの生命を握っていたからね。不本意ながら、ってやつさ」
「それで、風を操り、奈落の瘴気から我々を守ったのか」
「てめえらを守ったわけじゃねえ。こっちはこっちの都合で動いただけさ。あたしは自由になりたかった。それだけさ」
「仮にそうだとしても、そっちの鏡を持った子はどうなのさ?」
 神楽はふんと鼻を鳴らして珊瑚を一瞥し、無言のままの神無を見遣った。
「神無には善も悪もねえ。当然、復讐するなんて気もねえよ。神無、もう奈落は死んだんだ。奪い取ったかごめの魂を返してやりな」
 白い少女がうなずくと、彼女の鏡の中から眼に見えない何かが自らの身体に流れ込んでくるのをかごめは感じた。
「で、琥珀。例のものは見つけ出せたのかい?」
「ああ。でも、封印は解けていない」
 神楽の言葉を受けて琥珀が取り出したものは、小さな金の鈴であった。
「それは何だ?」
 犬夜叉が警戒を解かずに問うと、神楽は琥珀が持つ金の鈴を顎で示した。
「あの鈴の中にあたしの心臓が封じられているんだよ。ちっ。封印されたままじゃ、今度は誰に支配されるか判ったもんじゃねえ」
 そんな犬夜叉たちと神楽のやり取りをじっと聞いていたかごめが、一歩、前に進み出た。
「ねえ、神楽。その鈴、あたしたちに預けてくれない?」
「なんだって?」
「かごめ……?」
 何を言い出すのかと驚いて犬夜叉がかごめを顧みたが、かごめは構わず言葉を続けた。
「あたしたちを信じて。あたしたちも、あんたが敵じゃないって信じるから」
 神楽はじっとかごめを見遣る。
「おめえらに預けて、それで、どうしようってのさ? 今度はおまえがあたしを支配するのかよ?」
「違うわ。それを緑柱石の都の翠玉王のところへ持っていくのよ。翠玉王に封印を解いてもらえるように頼んでみる」
 その場にいた者は一様に驚いた表情でかごめを見た。
「……本気かよ」
 神楽は呆れたように言ったが、かごめの真剣な表情を見ると、大袈裟にため息をついた。
「仕方ねえ。乗り掛かった船だ。いいぜ、好きにしな」
「大丈夫。翠玉王ならきっと何とかしてくれるわ」
「おい、かごめ」
 釈然としない犬夜叉をかごめはにっこりと振り向いた。
「あたし、思うの。許すことも、勇気が必要じゃない? あんただって、もう神楽を許しているんでしょう?」
 心の中を見透かされた気がして、ぎくりとした犬夜叉は複雑な表情でそっぽを向く。
 そんな銀髪の半妖の横顔に、かごめはふふっと笑いかけた。

 冷血無比の邪悪な魔法使いが異国の巫女の一行に倒されたという事実は瞬く間に国中に伝わり、西の国の民は力による支配からの解放を、みな、心から喜んだ。
 強制的に奴婢としての労働を強いられていた人々も自由を手にし、喜びに湧く。
 城の者たちは恩人であるかごめたちの一行を宴を開いてもてなしたいと強く望んだが、一行はそうもゆっくりはしていられなかった。
 無事、西の魔法使い・奈落を倒し、約束を果たしたことを翠玉王に伝えるため、翌日には緑柱石の都に戻ることを決めた。
 風使いの神楽が一行を風に乗せて都まで運んでくれるという。
「琥珀、どうしてもこの西の国に残るのか?」
「はい」
 出発のとき、後ろ髪を引かれる想いで、珊瑚は西の国に残りたいと言った弟の手を握った。
「脅されていたとはいえ、おれは奈落に従って働いていた。この国の人たちに、償いがしたいんです」
 思いがけず生きて再会できた弟と離れがたく、珊瑚は琥珀を一緒に連れていきたかったが、彼には彼の思いがあるのだろう。
 己の肩に乗った雲母の頭を撫で、琥珀は、姉の仲間たちに丁寧に頭を下げた。
「姉上を、どうかよろしくお願いします」
「珊瑚ちゃんのことは心配しないで。あたしたちがついてる」
「任せてください」
 にっこりと応じるかごめと弥勒。
 そんな法師を見つめていた琥珀が、ふと、一番近くにいた犬夜叉にささやいた。
「あの。法師さまと姉上って……」
「ああ? 牢でのことを気にしてんのか? 弥勒は誰にでもあんなふうだから気にすんな。それに、珊瑚はおまえが死んだと思って心を失ったっていうから、弥勒のことも何とも思っちゃいねえよ」
「そうですか」
 琥珀は曖昧に言葉を返す。
「都で珊瑚は翠玉王に心をもらう。そうしたら、まっさきにおまえに会いに来るさ」
「はい」
 控えめな笑顔で琥珀は犬夜叉にうなずいた。
(翠玉王に心をもらって、姉上が自分の気持ちに気づいたら……その想い、法師さまに届くといいね、姉上)
 変化した雲母の首を抱き、別れを惜しむと、琥珀は再び珊瑚を見上げて笑みを作った。
「おれは大丈夫だから。きっとまた会えるから。姉上も元気でいてください」
「琥珀」
 珊瑚はぎゅっと弟を抱きしめる。
「そろそろいいかい?」
 扇を手にした神楽が髪に挿していた羽根を抜き取り、風を呼んだ。
「一気に都まで駆け抜けるよ」

≪ prev   next ≫ 

2009.2.10.