おらは魔法使い?

第十三章 翠玉王の正体

 かごめたちの一行は、神楽の妖力によって、西の国から緑柱石の都の巨大な緑色の門の前までの距離を風に乗って戻ってきた。
「ありがとう、神楽」
 神楽の操る大きな羽根から降りたかごめは、妖艶な風使いに礼を言う。
「約束通り、あんたのことも翠玉王に頼んでみるわ」
 軽くうなずいてみせた神楽は、羽根に乗ったまま再び空へと舞い上がった。
「あたしを呼びたいときは、あの鈴を三度、振りな」
 そうして、かごめたちは神楽と別れ、翠玉王との約束を果たしたことを告げに、意気揚々と王の住まう御殿へ向かうのだった。

 かごめ、弥勒、珊瑚、犬夜叉、そして雲母は、最初に緑柱石の都を訪れたときと同じように、門の中の小部屋で緑の葉を渡されて、それをそれぞれ頭の上にのせた。
 これで各自の願いを聞き届けてもらえるのかと思うと、知らず、都の大路を行くみなの歩みも速くなる。
(でも)
 と、ふと、かごめは思った。
(あたしの願いが叶うときは、みんなとお別れなのね……)
 ちらと傍らの犬夜叉を見遣ると、どことなく厳しい表情で前をじっと見つめて歩いていた。
 一行は翠玉王の御殿に到着すると、丁重に迎え入れられ、前回と同じ釣殿に通された。
 そして前回と同じ女官が現れて、笑顔で挨拶を述べる。
「今、王に取り次ぎをしてまいりました。それにしても、あの恐ろしい西の国においでになって、皆様、よくご無事で」
「西の国に行けと翠玉王が命じたんだろうが」
「まあまあ、犬夜叉」
 仏頂面で言葉を返す犬夜叉をいさめ、弥勒は女官の手を握りしめた。
「あなたに約束した通り、西の魔法使いを退治して戻ってまいりました」
 法師に手を取られ、見つめられ、ぽっと頬を染める女官の様子に心がざわつき、珊瑚がすかさず法衣の袖を強く引く。
「翠玉王と約束したんだろう、法師さま?」
「あの、翠玉王はなんて言ってるんですか?」
 すごむような珊瑚の口調に苦笑を洩らしつつ、かごめは女官に問うた。
「あ、はい。あの、王は考える時間が欲しいので、数日間の猶予をと」
「はあ?」
 不機嫌そうに聞き返したのは犬夜叉だった。
「こっちは命がけで王の頼みを聞いてやったんだぞ? おれたちが西の国に行っている間、考える時間くらいたっぷりあっただろうが」
「はあ、でも、わたしは王の仰せをお伝えしたまでで」
「直接会ってねぎらいの言葉のひとつでもかけろってんだ。ああ、取り次がなくていいぜ。おれたちが王のところへ行くからよ」
「それは困ります、犬夜叉さま」
 寝殿のほうへ行きかけた半妖の少年を女官が押しとどめようとしたが、慌てる彼女を法師がやんわりと制した。
「ご安心なさい。手荒なことはいたしません。美しい翠玉王のご尊顔を拝するだけです」
 すでに渡殿を進み始めている犬夜叉のあとに続こうとした弥勒の腕を、珊瑚ががしっと掴んだ。
「ご尊顔を拝しにって……法師さま、どういう目的で翠玉王に会うのか覚えてる?」
 怒気を含んだ珊瑚の勢いにも全く動ぜず、弥勒は退治屋の娘の手を両手で握り、その手に頬をすりよせた。
「妬いてくれるんですな、珊瑚。心配せずとも、私の一番愛しいおなごはおまえですよ」
「い、一番、って。いったい何番目まであるのさ!」
 たちまち朱に染まった顔をふいっと逸らし、珊瑚は犬夜叉を追いかけて渡殿を早足で歩いていく。そんな珊瑚を微笑ましげに見つめる弥勒もそのあとに続いた。
「あ……はは。ごめんなさいね」
 みんな寝殿のほうへ行ってしまったので、取り残されたかごめは女官に向かって曖昧に笑い、雲母を抱き上げ、自分も犬夜叉たちについて駆けていった。

 四人と一匹は、翠玉王がいるはずの、四方四季の春の御殿の寝殿に辿りつく。
 母屋の昼の御座の奥の塗籠の中。
 数日前、彼らはそこで、一人ずつ翠玉王と対面したのだ。
 かごめはピンクのゴム風船の、弥勒は緑の小袿姿の姫君の、珊瑚は小さなお地蔵さまの、犬夜叉は蒼白い炎の姿をした翠玉王に。
「翠玉王、そこにいるな? 約束通り、西の魔法使いは退治した。入るぜ」
 一声かけて、犬夜叉が塗籠の妻戸を開く。
 一同はぞろぞろと、御帳台が置かれた塗籠の中へ入った。
「翠玉王さま、どこですかー?」
 怒鳴るほど広くもないので控えめにかごめが呼びかけてみるが、反応はなし。
 御帳台の中には誰もおらず、風船も炎も何もなかった。
「本当に誰もいないのか?」
「いや、いるぜ。狐臭え」
「狐?」
 犬夜叉の言葉に嫌な予感を覚え、弥勒と珊瑚は顔を見合わせる。
「みぅ」
 かごめに抱かれていた雲母がとん、と床に飛び降り、塗籠の隅にある山水を描いた立派な屏風の後ろに入り込んだ。
 すると。
「こっ、こら、やめんか。こら」
 愛らしい雲母の鳴き声の合い間に、子供の声が洩れ聞こえてきた。
「え、なに?」
 驚いたかごめが屏風のほうを見て、仲間たちのほうを振り向くと、犬夜叉も弥勒も珊瑚も、呆れ返ったような顔をして屏風を見ていた。
「放すんじゃ。おらがここにいることがバレてしまうではないかっ」
 げんなりした表情で、はああ、と犬夜叉がため息をつく。
「とっくにバレてんだよ、この化け狐が。おまえ、翠玉王の小姓かなんかか?」
 と、小さな猫又に着物のはしを咥えられた、これも小さな愛らしい男の子が、屏風の陰から引っ張られるようにして出てきた。
 やわらかそうな髪にふわふわとした大きな尻尾。
 年は六、七歳といったところだろうか。
 隠れていた屏風の陰から引きずり出された形の子供は、情けなさそうな表情で、下からかごめたちを窺うように上目遣いで見上げている。
「何するんじゃ! おらはまだ子供だというのに。最近の大人は乱暴でいかん」
 それでも精一杯の虚勢を張る仔狐をかごめは面白そうに見つめ、彼の前にしゃがみ込んだ。
「あたしたち、翠玉王に無礼を働くつもりはないわ。あんた、狐の妖怪なの? 名前は?」
「本当におらに何もせんか?」
 仔狐はちらりと犬夜叉を見遣って言う。
「うん。あたしたちが用があるのは、翠玉王だから」
 にっこりしてかごめが応じると、子供は申しわけなさそうにかごめを見てから、つぶやいた。
「おらが、偉大な魔法使いの、翠玉王の七宝じゃ」
「七宝ちゃんというのね。えっと翠玉王の。――って、えっ!?」
 思わず大声を出してしまったが、かごめは心を落ち着け、もう一度、仔狐の眼を覗き込んで確認した。
「ええっと。七宝ちゃんは、翠玉王のお子さんかしら?」
「いいや。おらが翠玉王なんじゃ」
「えっ? あの、七宝ちゃんはその年で、この都の王様で、魔法使いなの? す、すごいのね」
「いいや。この都の王じゃが、魔法使いではない」
「あ、そうなんだ。魔法使いじゃ……」
 魔法使いでは――ない――
 絶句するかごめの背後で、珊瑚が眼を閉じて首を横に振り、額に手をあてた弥勒が果てしなく長いため息を吐いた。
「犬夜叉が狐臭いと言ったときから、どうせこんなことだろうと思いましたよ」

 気落ちしたように御帳台に腰掛ける仔狐妖怪の七宝をはさむように、彼の両側にかごめと珊瑚が腰をおろしている。
 御帳台の前に突っ立つ犬夜叉と弥勒はあまり機嫌がいいとはいえないようだ。
「で? おまえはただの狐妖怪で、しかも半人前のガキで、魔法の“ま”の字も知らねえんだな?」
 ずけずけと言う半妖を下から睨み、むっとした様子を見せる七宝だったが、反論すべき点はないようだ。
「仕方なかろう。みながおらを偉大な魔法使いだと思い込んでいる以上、おらはその期待を裏切れん」
「だけど、できもしない約束をするもんじゃないよ。あたしたちが最初にここに来たとき、どうして断ってしまわなかったんだい?」
 穏やかに珊瑚が問うと、七宝は小さな身体をさらに小さくして、握りしめた拳に視線を落とした。
「いつもなら翠玉王としてのおらへの頼み事は全て断っておる。じゃが、今回のおまえたちは四魂の玉を持った巫女と法師と妖怪退治屋と半妖だというではないか。おぬしらなら、きっと西の国の奈落を倒せるだろうと思ったんじゃ」
「嘘をついてまで、七宝は奈落を倒したかったんですか?」
 弥勒の言葉に仔狐はこくりとうなずいた。
「西の国と東の国のちょうど間に、この緑柱石の都はある。北の国と南の国は、それぞれ力のある巫女が国を守っておるから安心じゃが、先日、東の国を支配していた椿が死んだと報告を受けたんじゃ」
 その報を聞いてから、七宝は夜も眠れないほど心を悩ませていたという。
「西の国を支配する奈落は東の国の領土も狙っていたという噂じゃ。東に攻め入るとしたら、緑柱石の都も戦いに巻き込まれてしまう。しかし、都の民はたとえ戦になっても偉大な翠玉王が魔法で守ってくれると信じておるんじゃ」
 実際の翠玉王は小さな仔狐妖怪で、何の魔法も使えないというのに。
「可哀想に」
 幼い彼の心痛を思い、かごめはやさしく仔狐の髪を撫でた。
「しかし、そもそも何故おまえは偉大な魔法使いということになったんです?」
「え゛っ、それは……じゃな」
 四対の――雲母を入れれば五対の視線から逃げるようにそわそわと眼を泳がせ、七宝は言葉を濁す。
「何年か前、おらがこの土地に流れてきた頃は、ここはたいそうな鄙でな」
「何年前の話だよ? その頃、おまえは赤ん坊じゃねえか?」
 茶々を入れる犬夜叉に七宝は口をとがらせた。
「おらは妖怪じゃから、見た目よりも長く生きておる。とにかく、この土地の人間は疑うことを知らん奴ばかりで、おらが口から出まかせに身の上話をするとすっかりそれを信じ込んで――
「ちょっと待ってよ。出まかせの身の上話?」
 七宝はきまり悪げに、口をはさんだ珊瑚をちらと見た。
「おらは子供の姿に身をやつしてはいるが、実は偉大な魔法使いで、北、南、西、東、どの国を治めている魔女や魔法使いよりも優れていると」
「はあ?」
「修行の旅を終えたところで、この辺りに身を落ち着けたいと言ったら、魔法使いに治めてもらえる土地に住めるのは安心だということで、あっという間に都の建設が始まってのう」
 ほ、と仔狐は小さく吐息を洩らした。
「おらも未熟じゃった。人間があれほど騙されやすい生き物だとは思わんかった」
 かごめも呆れて珊瑚と顔を見合わせ、やれやれと他人事のようにため息をつく七宝の頭を犬夜叉がぽかりと殴る。
「このアホがっ!」
「子供に何するんじゃっ!」
「おまえの気まぐれと嘘のおかげで、都がひとつ出来ちまったっていうのかよ」
「それが本当なら、よくまあ、今まで何事もなくやってこれたものですなあ」
「これの力じゃ」
 呆れているのか感心しているのかよく解らない法師に、七宝は懐から緑の葉っぱを出して示した。
「この都では全ての者がこの葉っぱを頭にのせる決まりを作った。いわば一種のめくらましじゃ。だから、緑柱石の都に入ると、誰でもここは見たこともないほど素晴らしい都に見えるんじゃ」
「え。では」
 弥勒は懐から何かを取り出す。
「あ、それ……」
 珊瑚が思わず声を上げた。
「ええ。私が失敬してきた、この御殿の庭の玉砂利です」
 都の外では白い小石と化していたそれは、今また、美しい翠玉に戻っている。
「それも葉っぱの妖術で翠玉に見えているだけじゃ。おぬしらが頭にのせている葉を取れば、それは翠玉ではなくただの石だということが解るし、都の民には人間だけでなく妖怪の子供も混ざっておることにも気づくはずじゃ」
「緑柱石の都の住人には妖怪がいるのか?」
 ふと眼を見張る珊瑚に、七宝は素直にうなずいた。
「おらは悪い妖怪におとうを殺された。そういう妖怪の子供は人間が思う以上に多いんじゃ。一人で生きていくのは難しいし、人間の里には入れん。だから、葉っぱの妖術で人間と妖怪の区別を曖昧にして、親を亡くした妖怪の子供をこの都で受け入れておる。緑柱石の都はそのために造ったようなもんじゃ」
「へえ。偉いのね、七宝ちゃん」
「その年でそんなことを考えていたなんて。魔法が使えなくたって、七宝は立派な王様だよ」
 かごめに頭を撫でられ、珊瑚に軽く肩を叩かれ、七宝はどこか誇らしげだった。
「いま思いついた理屈ですな、それは」
「おれもそう思う」
 化けの皮が剥がれた翠玉王を褒めたたえる女性陣を尻目に、犬夜叉と弥勒は苦々しい顔つきでため息まじりにささやきを交わした。

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2009.4.2.