おらは魔法使い?
第十四章 約束を果たす
西の邪悪な魔法使いが確かに退治されたことを知り、緑柱石の都を治める翠玉王こと七宝は、王としての長い間の心痛からようやく解放され、実に嬉しそうにかごめたちに頭を下げた。
そう素直に礼を述べられると、相手は子供のこと、かごめはもとより犬夜叉も一方的に翠玉王を責めたてることは酷だと思った。
「しかし、あのときの美しい翠玉王が、この七宝の化けた姿だったとは」
法師は、一人、ため息をつく。
「西の魔法使いを倒した暁には私の子を産んでくれるという約束は諦めねばなりませんな」
「法師さま! 女官だけでなく、翠玉王にまでそんなこと言ってたの?」
ぐいと法師の衿元を締め上げる珊瑚に弥勒は照れ笑いを返す。
「でも一番はおまえですから」
「そういう問題じゃないっ!」
七宝は女官たちに母屋に食事を運ばせ、西と東の悪い魔法使いたちからこの緑柱石の都を救ってくれた礼として、かごめたちの一行に豪華な膳を振る舞った。
「すごいご馳走ね、七宝ちゃん」
「王ともなればこれくらい当然じゃ」
胸を張る仔狐に犬夜叉が冷めた視線を送る。
「ニセ魔法使いだがな」
頭にのせた葉っぱを取った一行は、とりあえず食事をしながら、これまでの経緯や冒険を話し、これからのことを相談した。
「それにしても、犬夜叉は何故、最初に狐の臭いに気づかなかったんです?」
「火の匂いに誤魔化されたんだよ」
吐き捨てるように犬夜叉が言うと、七宝もこくんとうなずいた。
「あのときは半妖が相手というので、本物の火を焚き、火の匂いを強くしたんじゃ」
「インチキ魔法でも、なかなか頭の切れる魔法使いのようですな」
揶揄するように弥勒が言うと、仔狐はばつが悪そうに小さく笑った。
「しかし、おらはもうこの御殿にこもりきりの生活に嫌気がさした。やはり、最初から無理があったんじゃ。そこで相談なんじゃが」
と、弥勒を見上げ、
「どうじゃろう、弥勒。この御殿に住み、おらの代わりにこの都の王になってはくれんか?」
「私が? この、緑柱石の都を治めるのですか?」
「弥勒なら適任だと思うんじゃ。もし、引き受けてくれたら、お礼に秘蔵の魔法薬で弥勒と珊瑚と犬夜叉、三人の願いを叶えてやってもよい」
「ええっ?」
「おまえ、魔法は使えないんじゃ……」
意外そうな声を出す珊瑚と犬夜叉を一瞥し、小さな仔狐は勿体ぶって言った。
「狐妖怪にだけ伝わる秘術じゃ。それで三人の願いは叶うじゃろう。かごめのことは……また別に考えねばならんが……」
ちらりと申しわけなさそうにかごめのほうを見遣り、七宝はもう一度弥勒に視線を向けた。
「どうじゃ、弥勒。引き受けてくれんかのう?」
「え、ええ……私は根なし草ですから、私でよければおまえとともにこの都に腰を落ち着けても構いません。右手の呪いも解けたことですし。王とはまた、たいそうな身分ですが」
「引き受けてくれるか! それはありがたい!」
ぱっと表情を明るくする七宝をじっと見つめていた珊瑚の顔が、わずかに曇った。
(法師さま、この都に残るのか……)
彼女はそっと視線を膝に落とした。
かごめたち四人と一匹は、その夜、翠玉王の御殿に泊まり、ゆっくりと休息を取った。
頭にのせていた葉の妖術の効果が消えると、四方四季で敷地内に四つあるはずの寝殿は、実は春の御殿ひとつきりであることが判ったが、それでもなかなか立派な御殿だった。
翌朝、みなで朝餉をすませると、おもむろに七宝が立ち上がり、魔法薬を与えるからと、弥勒と珊瑚と犬夜叉、それぞれ一人ずつ塗籠の中に入るようにと指示をした。
まずは、弥勒。
「だが、風穴の呪いは解けたのだから、もう無理に叡智を得る必要はなくなったのではないか?」
「ええ、まあ。でも西の魔法使いを倒すという仕事を果たしたのですから、いただけるものはいただきます」
この法師には、緑柱石の都を治めるという大任を引き受けてもらうのだ。
最初の約束だけではなく、そのことについても、七宝は弥勒に礼がしたいと思っていた。
「では、これを飲めばよい」
七宝が持ってきたのは、美しい風変わりな形をした硝子の瓶に入った液体だった。
「これは?」
「異国の楽園になっていた知恵の果実から作った“りきゅーる”という酒じゃ。これを飲むと、脳が鋭敏になり、叡智に目覚める」
「ほう。では、さっそく」
仔狐が差し出した硝子の杯に瓶の中の液体をなみなみとつぎ、法師は飲み干す。
「なかなか味わい深い味ですな。珊瑚にも飲ませてやりたい」
満足そうにつぶやく弥勒が口にしたのは、林檎のリキュールだった。
次は珊瑚。
「珊瑚はやさしい心が欲しいというが、心を麻痺させた原因の琥珀が生きていたんじゃから、失った感情も少しずつもとに戻ると思うぞ?」
「そうかもしれない。でも、あたしは男勝りだから、なんていうのかな、もっと女らしいやさしい心が欲しいんだ」
その心の動きからして女らしいと思った七宝はにっこりと微笑み、奥から銀の皿にのせた小さな菓子を運んできた。
「では、これを食べるとよい」
「これは?」
「巴旦杏を砂糖で包んだ特別な菓子じゃ。これを食べると、身体の中でやさしい心に変じる」
「本当?」
「女らしいやさしい色をしているじゃろう? これが繊細な心のもとになる」
仔狐が差し出した皿の上の、白いのと桃色の、シュガーコーティングした三粒のアーモンドを見つめていた珊瑚は、そのひとつをこわごわ手に取った。
そして、思い切ったように口に入れる。
「……甘い」
少し恥ずかしげに、嬉しそうに笑みを見せる珊瑚が口にしたのは、ドラジェだった。
最後は犬夜叉。
「犬夜叉は勇気が欲しいと言うが、今回、ここへ来るまでに真の勇気が何か、自分の力で肌で学んだのではないか?」
「ああ、森にいた頃よりは少しはおれも成長したかなって思う。だが、七宝、おまえ、勇気のもとを持っているって言ってたよな?」
「……え゛」
真に受けているとは思わなかった……と、七宝は犬夜叉に背を向けて、しばらく小さな両手で頭を抱えていたが、よしっ! とつぶやくと、奥の棚から緑色の液体を入れた陶器のゴブレットを持ってきて、犬夜叉に差し出した。
「では、これを飲め」
「なんだよ、この毒々しい色は! おまけにこのにおい!」
袂で鼻と口を覆った半妖に、七宝は尤もらしく説明する。
「もろへいや、という異国の野菜から作った“じゅーす”という飲み物じゃ」
「これが勇気のもとか?」
「すごい色とにおいじゃろう? これを飲むには勇気がいる。そして、飲んだそばからこれは身体の中で勇気に変わる」
「そっ、そうか。そういうことなら」
息をとめ、鼻をつまみ、犬夜叉はその緑色のジュースをごくごくと一気に飲み干した。
「ぷはっ! うー、青臭え……っ!」
顔をゆがめてゴブレットを見下ろす犬夜叉が口にしたのは、青汁だった。
三人に彼らの求めるものを与えた振りをした大魔法使いの七宝は、犬夜叉が仲間たちのもとへ去ったあと、一人、塗籠の中に残り、腕を組んで大きなため息を洩らした。
「三人とも、すでに持っているものを欲しがっておるのだから、それに気づかせてやるだけで充分じゃ。しかし、かごめの願いだけは、おらの力ではどうすることもできん」
だからといって、かごめの件だけを知らん顔で捨て置くことなど、七宝にはできなかった。
それぞれ、望みのものを手に入れた――と思い込んでいる弥勒、珊瑚、犬夜叉は、庭に続く階に腰掛け、誇らしげに談笑している。
一方、自分ひとりだけ願いを叶えてもらえないかごめは、漠然とした不安に苛まれて庭におりた。
翠玉王の魔法をあてにできないとなれば、何か別の方法を考えなくてはならない。
手入れがいきとどいた広い庭を一人でぶらついていたかごめが何気なくポケットに手を入れると、小さなものが手に触れた。
取り出してみると、それは金の鈴だった。
(そうだ。あたし、神楽のことも翠玉王になんとかしてもらうって約束したんだわ)
ますます困惑し、途方に暮れるかごめのスカートの裾をつんつんと引く手がある。
振り返ってみると、仔狐妖怪の七宝が立っていた。
「かごめ、すまん。おら、何の役にも立てなくて」
「しょうがないわ。七宝ちゃんだけのせいじゃないもの」
「そのことなのですが、かごめさま」
七宝の後ろから、弥勒、珊瑚、犬夜叉と雲母もやってきた。
「かごめさまの願いを叶えるためにはどうしたらよいか、私たちも考えてみたのですが」
慎重に言う弥勒の傍らで、珊瑚が、ふとかごめが手にした金の鈴に目をとめた。
「あたしたち、神楽の封印も解かなくちゃならないんだよね」
「うん。でも、七宝ちゃんには無理じゃ……」
「聞いてくれ、かごめ。おらにはかごめを異世界に帰してやることも、風使いの封印を解くこともできん。しかし、それが可能かもしれない魔女が一人おるんじゃ」
「えっ?」
思いもかけない言葉に呆然となり、かごめは仲間たちの顔を見廻した。
「あたしをもとの世界に帰してくれる魔女? 最初に会った楓ばあちゃんも魔女だけど、そんなことはできないって言ってたのに」
「一人だけ、それができるかもしれない魔女がいるんだ。かごめ、この世界が四つの国とひとつの都からできていることはおまえも知ってるよな?」
「え、うん。この世界に来たばかりのとき、北の魔女の楓ばあちゃんから聞いた」
「四つの世界とひとつの都にはそれぞれ一人ずつ魔法使いがいて、その魔法使いが国を治めていた。北の魔女の楓ばばあ、おまえが倒した東の魔女の椿」
「そして、我々が倒した西の奈落と、都のこの七宝です」
「かごめちゃん、もう一人、かごめちゃんが会っていない魔法使いが南の国にいるんだよ。東西南北、四つの国を治める魔法使いたちの中で、南の魔女は最大の力を持つといわれている。もしかしたら、かごめちゃんの願いも……」
かわるがわる説明する皆の言葉に、かごめは期待に胸がざわめくのを感じた。
「じゃあ、あたしの願いは、その南の魔女が叶えてくれるかもしれないのね?」
犬夜叉がうなずく。
「会ってみるだけの価値はある。今からその魔女に会いに南の国へ行こうぜ、かごめ」
2009.8.26.