おらは魔法使い?

第三章 愛を求める退治屋

 翌朝、小屋の中に射し込む朝の光でかごめは眼を覚ました。
 身支度を整え、小屋の外へ出ると、夜は不気味に思えた小屋を取り巻く森が、朝日を緑の葉に受けて美しく輝いている。
 うーんと伸びをすると、木立の向こうからやってくる弥勒と小猫の姿が目に入った。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 かごめを見つけ、弥勒はにこりと笑顔を見せた。
「おはよう、弥勒さま。どこ行ってたの?」
「この猫又に案内してもらって、森の泉で水を汲んできたんですよ」
 水を満たした桶をかごめに示し、弥勒は足許の小さな猫又に視線を落としながら言った。
「かごめさまも顔を洗いたいでしょう? それに、飲み水も必要ですし」
「ありがとう、弥勒さま。それに猫ちゃんも。さっそく朝ご飯にしましょう?」
 小屋の中に入った二人と一匹は、かごめ持参のパン類と森の木の実で朝食にした。

 朝食を終え、リュックを背負ったかごめは弥勒とともに小屋を出た。
 泊めてもらった礼を言いたかったが、小屋の住人はとうとう帰ってこなかった。
「さて。行きますか」
「うん。……って、あれ?」
 歩き出そうとしたかごめと弥勒だが、ここまで二人に従ってきた猫又がその場を動かない。
「どうしたの、猫ちゃん?」
 何か言いたいことがあるようだと察したかごめが身をかがめて小猫に声をかけると、まるでついてこいというように身を翻し、石畳の道とは反対の方向へと猫又は歩き出した。
 不思議に思いながらも二人がついていくと、やがて前方に、娘が一人、こちらに背を向けて地面に座り込んでいるのが見て取れた。
 娘が向かい合っているのは土饅頭──つまり誰かの墓らしい。
 じかに地に腰を落とし、立てた膝を両腕で抱え込むようにしてうずくまる娘に猫又が甘えるように頭をこすりつける。背後に気配を感じたらしい娘がさっと立ち上がり、振り返った。
 瞼に朱を刷いた美しい娘だった。しかし、その表情には生気がない。
「……あんたたち、誰だい?」
 低い、微かに警戒を含んだ声。
 それに答えようとするかごめより早く、弥勒が娘に近づくと、両手で娘の手を握りしめた。
「私は旅の法師です。もしよろしければ──
「ちょっと、弥勒さまっ!」
 慌てたかごめが娘と弥勒を引き離した。
「何するんですか、かごめさま」
「何って、それはこっちの科白でしょ? 今度はどう見ても本物の薄倖の美少女じゃない。子供を産んでくださいなんて言ったら、あたし怒るわよ」
 今度は本物ってどういう意味だろうと首をひねりながら、弥勒はかごめの言葉を受ける。
「いくら私でも、あのような様子の娘にそのようなことは言いませんよ。よろしければ話を聞かせてくださいと言おうとしたんです」
「……なんだ……」
 かごめは安堵のため息をついた。
 そして、猫又を抱いて怪訝な表情をこちらへ向ける娘に改めて向き直る。
「あっちにある小屋、あなたの家だったのね」
「ああ」
「あたしたち、夕べあそこに泊まらせてもらったの。断りもなく、ごめんなさい。でも助かったわ。ありがとう」
「いいよ、そんなこと」
 わずかに眼を伏せた娘は、腕に抱く猫又の背を小さく撫でている。
「あの、あたしはかごめ。あっちは法師の弥勒さま。あなたの名前は?」
「……珊瑚」
「ねえ、何か事情がありそうね。もし、迷惑でなければ話してくれないかな」
 ほとんど無表情のまま、淡々と受け答えをする珊瑚の様子が気になったかごめが遠慮がちに問いかけると、珊瑚ははじめて顔を上げ、目の前の少女と法師を見比べた。
「あんたたち、どういう二人連れ? 恋仲? それとも夫婦?」
「夫婦っ……?」
 いきなり話が飛躍し、かごめは眼を剥く。
「やだっ、弥勒さまは一緒に旅をする仲間よ」
 そこで再び弥勒がつつつと珊瑚に歩み寄り、彼女の手を握ろうと……したが、彼女の手は猫又を抱いてふさがっていたので、そっとその肩に手を置いた。
「私は一人のおなごに縛られることなく、世のおなごたちに愛のなんたるかを説くことを使命と考える者です」
 弥勒の言い草にかごめは呆れて言葉もないが、珊瑚は無表情に法師の顔を見た。
「愛……?」
「はい」
「あたしは……愛って何だか解らない……」
 うつむき、そうつぶやく珊瑚の哀しげな表情に、事情を知らないかごめの胸も痛んだ。
「珊瑚さん──
「……最も大切な人を失ってしまったから。同時に愛する心も失ってしまったんだ」
「珊瑚……」
 痛ましげな珊瑚の言葉に愁眉を寄せた弥勒は、娘をいたわるように抱き寄せた。
「愛を知らぬとは不憫な。今宵、私が手取り足取り、おまえに愛を教えてあげましょう」
「ちょっ、弥勒さま!」
 やさしく珊瑚にささやく法師の言葉に仰天したかごめは、またしても法師を娘から引き離した。
「言うに事欠いて、今宵ってなに!」
「もちろん、褥の中で、という意味ですが……」
「慰めになってないでしょ! っていうか、意味違うし!」
 大切な人を亡くしたという娘の神経を逆撫でしてしまったのではないかと、かごめは恐る恐る珊瑚を振り返ったが、珊瑚はすでに法師のほうを見ておらず、視線を土饅頭へ向けていた。
「あれはあたしの弟の墓だよ」
「弟さん?」
 同じく弟を持つかごめは、その言葉がちくりと胸を刺す。
「あたしたちは早くに二親を亡くしたけど、弟の琥珀と二人、妖怪退治を生業にして、それなりに幸せに暮らしてきた」
 珊瑚の腕からひらりと飛び降りた猫又が土饅頭に寄り添うように身を横たえた。
「でも、突然、琥珀が原因不明の病にかかったんだ。退治屋に伝わる薬をいろいろ試してみたけど、どれも効果がなくて。それで、大きな村まで、薬師に琥珀を診てほしいって頼みに行ったんだ」
「それで、弟さん──琥珀くんは……」
 心配げなかごめの問いかけに、珊瑚は悔しそうに首を振る。
「そしたらその薬師、とんでもない奴でさ、診てやるからって、あたしに無理やり無体なことを……」
「されたのですかっ!」
 がしっと珊瑚の両肩を掴み、勢い込んだ弥勒が娘の顔を至近距離で覗き込む。
 珊瑚はその手を軽く振り払い、
「されそうになったから、張り倒して逃げてきた」
 あっさり答えた。が、すぐに悲しそうな顔つきになる。
「でも、家に帰ったら、琥珀はもう死んでたんだ」
「珊瑚さん……」
 珊瑚はうつむき、視線を落とした。
「琥珀の病は、どうも呪詛が原因だったらしい。あたしたちに怨みを持つ妖怪が東の国の魔女に琥珀の呪殺を依頼したらしい。──妖怪退治屋なんてやってるからね。だけど、今さらそんなことが判って何になる? 琥珀は死んだ。……あたしは琥珀の死とともに心を失くした」
 法師と少女はしばらく沈黙したまま、悲痛な想いで墓に目をやる退治屋の娘を見つめていたが、みぃ、と鳴く声に、かごめはふと楓の言葉を思い出した。

 ──こいつもどうやら椿を倒そうと機会を窺っていたらしい──

「そんな事情があったのね。でも、この猫又、あなたのでしょう? この子、数日前から東の国の魔女の椿のところへ行っていたのよ?」
 驚いた珊瑚が顔を上げる。
「雲母が?」
 そこではじめて猫又の名が判った。
「雲母はきっと、琥珀くんの仇を討とうとしていたのよ。あなたの心の痛みはよく解る。でも、雲母はどうなるの? 珊瑚さんが愛する心を失ったままじゃ、今度は雲母が悲しむわ」
「雲母──
「それに、椿はもう死んだわ」
「えっ?」
「かごめさまが椿を退治してくださったんですよ」
 法師の言葉に珊瑚は眼を見張った。かごめの白い衣に気づいたようだ。
「あんた、魔女だったんだね」
「いや、魔女ってわけじゃないんだけど」
「かごめさまは異国の巫女だそうです」
 驚いて異国の巫女だという少女と有髪の法師を見比べていた珊瑚は、ややあって、足許の愛猫に視線を落とした。
 そこに琥珀が眠っていることが解るのだろうか。
 土饅頭を見つめていた愛らしい猫又の大きな赤い瞳が、自分に向けられるのを見た珊瑚の瞳から涙がこぼれた。
「雲母……おまえ──
 小さな妖猫を抱き上げ、頬摺りをする。
「ごめんね、雲母。おまえはたった一人で、琥珀やあたしのために闘おうとしてくれたんだね……」
 それなのに、あたしは愛する心を失ってしまった。
 雲母はこんなにもあたしを愛してくれているのに──
 もう一度、愛する心を取り戻したい。
 でも、どうすれば……
「ねえ。愛する心って、どうやったら取り戻せるのかな」
 珊瑚は雲母を抱きしめたまま、顔を上げてかごめを見つめた。
「あたし、このままじゃいけない。もう一度、人間らしい心がほしい」
「珊瑚さん」
「珊瑚……」
 かごめと弥勒は顔を見合わせ、微笑し、うなずきあった。
「あたしたち、緑柱石の都へ行く途中なんだけど、あなたも一緒に行かない?」
「緑柱石の都へ?」
 かごめはうなずいた。
「あたしはあたしを故郷に帰してもらうために。弥勒さまは叡智を授けてもらうために。都を治める偉大な魔法使いの翠玉王は、きっと珊瑚さんにも愛する心を授けてくださるわ」
 自信に満ちたかごめの言葉に、珊瑚は微かな希望を見いだした。
 緑柱石の都へ行けば、自分も失ってしまった心を取り戻すことができるのか。
 珊瑚の表情が心もち明るくなった。
「あたしも一緒に行っていいの?」
「もちろんよ!」
「むしろ、歓迎しますよ」
 さりげなく娘の手を握って彼女を引き寄せ、その背や肩を撫で廻す法師の手を、容赦なく珊瑚の指が抓りあげる。
 こうして、緑柱石の都への旅に、新たなる仲間が加わった。

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2007.9.29.