おらは魔法使い?
第四章 勇気を求める半妖
「ふうん。それじゃあ、かごめちゃんはどうやってこの国に来たのか、自分でも解らないんだ」
大きな武器を背負った娘へ、隣を歩くセーラー服の少女がうなずく。
今日もよい天気だ。
森の奥へと続いている灰色の石畳の道をかごめと珊瑚が並んで歩き、珊瑚の肩には雲母が、二人の少女の背後には法師の弥勒がゆったりとした表情で歩いていた。
「それで、翠玉王に頼んで、自分の国に帰してもらうんだね」
「うん。自分じゃどうしようもないからね」
「法師さまは?」
珊瑚は首だけ斜め後ろへ向けて問う。
「はい?」
「法師さまはなんで叡智が欲しいの? そんな切羽詰まっているようには見えないんだけど」
「これですよ」
やや歩調を落とした珊瑚の横へ並び、弥勒は掌を上へ向けて右手を差し出す。
掌から肘にかけて、その腕は手甲と数珠に覆われていた。
「私の家系には三代続く呪いがありましてね。この掌にはあらゆるものを吸い込む風穴が穿たれているんです」
かごめも歩く速度を緩め、法師の右側へと並ぶ。
二人の少女は法師の両側から、呪いを受け継いだという彼の右掌を見つめた。
「この数珠は、風穴封印のためのもの。この呪いを解くには、私の祖父に呪いをかけた妖怪を捜し出し、滅せねばなりません」
「弥勒さまって、そんな境遇の人だったの……?」
弥勒はやわらかな笑みをかごめに向けた。
「一刻も早く、その妖怪を倒さねばならぬというのに、何しろ昔の話ですから手掛かりが少なくて。知恵があれば何とかなるかもしれません」
薄倖の美青年というのは、あながち見当外れでもなかったんだ──
ほんの少し、かごめは申しわけなく思い、心の中で法師に詫びた。
と、突然、ぱちん! と乾いた音が響き、同時に、
「どこ触ってんのさ!」
珊瑚の怒声が空気を震わす。
ん? とかごめが振り向くと、眼をつりあげた珊瑚が、紅くなった左の頬を押さえる弥勒を睨み付けていた。
くっきりと手形のいった頬を撫でながら、弥勒は小さくため息をこぼす。
「おまえは愛する心を失ったから知らないだけです」
「何を」
懲りずに珊瑚の手を取った弥勒はぐいっとその手を引き、娘を己の腕の中に収める。
「普通、おなごはこうされると愛されていると実感し、心を許して相手に寄り添うものなんですよ?」
「そっ、そうなの……?」
真顔で驚く珊瑚と法師のそんなやり取りに、呆れ顔のかごめがぼそっとつぶやく。
「……珊瑚ちゃん、珊瑚ちゃん……騙されてる」
かごめの言葉にはっとした珊瑚が法師の腕を振りほどき、ぎっと彼を睨むと、法師は盛大にため息をついた。
「私は純粋におまえの心をなぐさめようとしているだけなのに──」
「別にあんたになぐさめてもらわんでいい!」
そのとき、雲母が小さく唸り声を上げた。
「どうしたの、雲母?」
かごめが身をかがめて猫又に問うと、珊瑚がかごめをかばうようにその腕に手をかけた。
「そろそろ、お出ましのようだね」
「お出ましって?」
「この辺りの森は、犬の妖怪の血を引く半妖が支配しているんだ。かなりの乱暴者だって話だからね。用心するにこしたことはない」
「犬の妖怪?」
かごめは猫の妖怪である雲母をちらりと見遣る。
「おまえはその半妖と遇ったことがあるのか、珊瑚?」
退治屋の顔つきになった珊瑚を見て、表情を引き締めた弥勒が問うた。
「いいや。でも、その半妖のせいで、この森を無事に通り抜けられた人間はいないって聞く。法師さまも気をつけて」
珊瑚の話からして、雲母のような可愛らしい代物ではなさそうだ。
かごめは不安げに眉をひそめた。
森は一見穏やかに見えた。
しかし、森の奥へ奥へと続く石畳の道を歩く三人には緊張がみなぎっている。
雲母を先頭に、かごめを真ん中にして並んで歩く法師と退治屋は、抜かりなく周囲に気を配っていた。
と、不意に、弥勒と珊瑚が同時に動いた。
「えっ、なに?」
かごめを護るように一歩前へ出た二人は、構えの体勢を取り、ある一本の大樹を見上げた。
「へえ。おれの気配に気づくとは、ただの人間じゃなさそうだな」
不遜な響きを持つ少年の声が聞こえたかと思うと、ざざざっと葉のこすれあう音とともに、何者かが樹上から飛び降り、ざっと地に降り立った。
(これが、珊瑚ちゃんの言ってた半妖?)
銀色の長い髪に金の瞳。
緋色の衣を着た犬の耳を持つ少年は、かごめと大して変わらない年頃に見える。
「おう、おまえら。ここがこの犬夜叉さまの支配する森と知って通る気か?」
「だったらどうだというのだ」
錫杖を構え、凛とした口調で弥勒が答える。
「人間がたった三人でおれに敵うわけねえだろ。痛い目見る前に引き返したほうが利口だぜ」
「やってみなければ判らないだろう。あたしは退治屋だ」
飛来骨を構える珊瑚の強気な発言に、半妖の少年はふんと鼻を鳴らした。
「おもしれえ。だったら相手してやるぜ。一人ずつか? それともまとめてかかってくるか?」
少年はすらりと腰の刀を抜く。
抜刀とともに巨大化した刀を見て、かごめは息を呑んだ。
ぐるるる、と唸り声を上げ、真っ先に半妖に向かって地を蹴ったのは雲母だった。
「なんだ、このチビ。やるってのか?」
自分に向かってくる小さな猫又に、半妖──犬夜叉は容赦なく刀を振り下ろす。
「きゃああっ!」
あの大きな刀身を受けたら雲母はひとたまりもないのではないか。そう思ったかごめは、思わず眼をつぶり悲鳴を上げた。
が、次の瞬間、ごうっと何かが渦巻くような音を聞き、おそるおそる眼を開けたかごめの見たものは、炎をまとって変化した巨大な雲母の姿だった。
変化した雲母は大きな虎くらいの大きさはあるだろう。
半妖の攻撃をかわし、彼の注意を自分に引きつけている。
「飛来骨!」
犬夜叉の意識が雲母に向いている隙を狙い、珊瑚が飛来骨を投じた。すぐさまその攻撃を刃で受ける犬夜叉。だが、それとほぼ同時に弥勒が懐から取り出した札を投げつけた。
「成敗っ!」
「うあっ……!」
破魔札を額に受け、その衝撃で背後に飛ばされた瞬間、すかさず珊瑚が臭い玉を投げた。これをまともに喰らっては、さすがの犬夜叉も意識が朦朧とするのをどうすることもできなかった。
こうして無敗の半妖は、油断大敵、という言葉を身をもって知ることになったのだった。
気がつくと、三人と一匹に顔を覗き込まれていた。
「なっ、何見てやがるんでいっ」
慌てて起き上がり、威嚇するも、敗れてしまったあとでは格好がつかない。
その場に胡坐をかき、ふんっとふてぶてしい態度を取る半妖の少年に、かごめは大仰にため息をついてみせた。
「あんた、仮にもこの森を支配する者なんでしょ? 弥勒さまと珊瑚ちゃんはともかく、あんなでっかい刀振り上げて、こんな小さな──」
「“小さな”?」
弥勒と珊瑚、それに犬夜叉のつぶやきが重なり、三対の眼が雲母に向けられた。
かごめの視線が巨大化した雲母とぶつかる。少女はこほんと咳払いをしてみせた。
「と、とにかく、あんたが刀を向けたときは小さかったのよ。恥ずかしくないの? 誰がどう見たって弱い者いじめの構図じゃない」
「こいつ、戦う気満々だったじゃねーか」
不貞腐れたようにそっぽを向く半妖の態度に、かごめはむっとした。いつもは穏やかなかごめの眼がむすっとなって半妖の少年を睨む。
「開き直ってんじゃないわよ。犬なら犬らしく……」
かごめはぴっと人差し指を犬夜叉に突きつけて叫んだ。
「おすわりっ!」
「──んがぁっ!」
「あっ」
「えっ」
「えええっ?」
かごめの叫びとともにすごい勢いで地に沈んだ半妖を見て、弥勒と珊瑚が眼をまるくしたが、叫んだ本人が一番驚いていた。
犬夜叉が唖然とした瞳をかごめに向ける。
「おまえ……もしかして、あのときの──五十年前の巫女か?」
「五十年? ちょっと! あたしが五十歳を過ぎているように見えるっていうの?」
半妖は焦り気味に顔を引きつらせて言葉を濁した。
「い、いや、そういう意味じゃなくて──でも、そうだ。どこか似ている」
かごめの顔を無遠慮にじろじろと眺め廻す犬夜叉に、強張った表情のかごめがうっと引く。
「知らないわよ、五十年前なんて。だいたい、あたしはこの世界の人間じゃないもの」
「その巫女さまと、おまえは何か特別な関わりがあるのか?」
冷静に問う弥勒にちらりと視線を向け、犬夜叉は低い声で言葉を紡いだ。
「おれは半妖だ。人間からも妖怪からも異端視される。それなら、誰にも負けない力を得て、人間や妖怪どもを服従させようと思っていた」
犬夜叉は遠くを見るような眼つきになった。
「だが、五十年前、人間に悪事を働くという理由で、ある巫女に封じられかけた。その巫女はおれに言ったんだ。そんなやり方では、真の強さを手に入れることはできないと」
地面に落ちていた刀を手に取ると、犬夜叉はそれをゆっくりと鞘に戻す。
「おれが真の勇気を持つことができたなら、この鉄砕牙と共鳴し、真の強さを手に入れることができるだろうとその巫女は言った。そして、おれを封印することをやめる代わりにこの念珠をおれの首に掛け、答えは自分で探せと言って去っていった」
「真の勇気……?」
つぶやくかごめに、犬夜叉は自嘲するようにふっと笑みをこぼした。
「ああ、でも、おめえの言う通りだな。あんな小さな猫又妖怪の挑発に簡単に乗るようじゃ、おれもまだまだってことだな」
彼は、巫女に会ったその日からずっと、真の勇気とは、真の強さとはどういうものなのか、模索し続けていたという。
「勇気が欲しい。たぶん、おれは臆病者だ。半妖である自分を受け入れられない。だけど、このままじゃいけねえんだ。真実を見つめるための本物の勇気が欲しい」
(ただの乱暴者の半妖じゃない。このひとは、ずっと一人で、自分の生き方を探し続けていたのね)
何かをじっと考えているような半妖の少年の金色の瞳を、かごめは不思議に安らいだ気持ちで眺めていた。
2007.11.2.