おらは魔法使い?
第七章 緑柱石の都
無事、芥子畑を出ることができたかごめたちの一行は、程度の差はあれ、全員が芥子の香りを吸い込んでしまったが、清浄な空気のもとで呼吸ができるようになると、自然に毒は抜けたようだ。
緑の野の中の道を歩き続けていると、次第に、ちらほらと人家が見られるようになった。
「村が近いということですかな」
「都が近いのかもしれないわ」
和気あいあいと言葉を交わしながら元気よく進むかごめたち。犬夜叉が不意に立ち止まった。
「……おい」
思いきり怪訝そうな声で言う。
「あれ、何だ?」
残りの三人と一匹が彼の視線を辿ると、前方に、大きな大きな門がそびえている。
「うわ、まるで竜宮城の門みたいね。でも、緑色だわ」
「道をふさいでいる。とんだ障害物だね」
顔を見合わせる二人の少女に、法師が口をはさむ。
「ちょっと待て。もしや、あれが緑柱石の都の門なのではないか?」
「え?」
かごめと珊瑚は改めて門を見た。
「きゃあっ! とうとう着いたんだー!」
両手を握りしめてぱっと瞳を輝かせるかごめに、珊瑚が冷静につぶやいた。
「でも、まだ翠玉王に会うっていう難関が残ってるよ。王様が庶民にそう簡単に会ってくれるとは思えない」
「都に入ればこちらのものです。大丈夫、いくらでも手はありますよ」
「いざとなったらおれが力ずくで翠玉王を引きずり出してやるぜ」
お願いをしにいくのか殴りこみにいくのかよく判らない雰囲気になってきたが、まあ、何とかなりそうだ。
一行は大きな大きな緑色の門の大きな大きな緑色の扉を叩いた。
「誰だ?」
ぎいぃっと大きな扉の脇の小さな通用門の扉が開き、足軽のような格好をした男──門番らしい──が顔を覗かせた。
「都の門番の方で?」
一行を代表して弥勒が問う。
「そうだが。あんたたちは?」
「私たちは翠玉王に会うためにはるばるここまでやってきた者です。緑柱石の都へ入ることを許可していただけませんか」
門番の男は軽く眼を見張った。
「都への客人とは珍しい。もう何年もよそ者が緑柱石の都を訪れることなどなかったからな。さ、お客人。まずはこちらへ」
門番はそう言って、四人と一匹を通用門の扉をくぐったところにある控えの間のような小部屋へ通した。そして、あるものをそれぞれに手渡す。
「都に入る者はこれを頭にのせてもらうことが決まりだ」
四人は一様に眉をひそめ、渡されたものをまじまじと眺めた。
「葉っぱ?」
「こんなものを頭にのせてどうすんですか。それに、すぐ落ちるでしょう」
「そこはそれ、落ちんようにうまいことなっておる。意味など知らんが、この都ができたときからの決まりなんだから、従ってもらわんことにはな。都に入りたいんだろう?」
「ったくしょうがねえなあ」
ぶちぶち言いながら、犬夜叉が緑の葉を頭にのせる。
かごめ、弥勒、珊瑚もをそれに倣い、珊瑚は雲母の額にも葉をのせた。
「はい、それでは都の中へどうぞ」
人のよさそうな門番は、愛想よく一行を都の中へと送り出した。
「結構にぎやかな街ね」
都へ入ると、まず長く延びた広い大路が目に入った。
その道の両側に整然と家々が軒を連ねている。
きちんとした身なりの老若男女がのんびりと道を行き交い、平和な空気が流れていた。
「おお、美しい娘があちらにもこちらにも」
「やめな、法師さま。見苦しい」
若い娘の姿を追いかけ、落ち着きなく周囲に眼をやる弥勒の耳を憮然と珊瑚が引っ張った。
都の住人たちもまた、一人残らず頭に葉っぱをのせているのを見て、かごめがつぶやく。
「変な都ね」
一行は都の住人に翠玉王の御殿の位置を訊き、まっすぐにそこを目指した。
「ここか」
どこまでも続いているかに見える立派な塀に囲まれた御殿も、やはり緑色を帯びて見える。
その御殿の門扉を、法師が錫杖でとんとんと叩いた。
すぐに扉が開かれ、今度は狩衣姿の男が姿を見せた。
「何の用だ。ここは翠玉王の御殿だぞ」
「その翠玉王にお会いしたいのですが」
と、弥勒が物柔らかに答える。
「駄目だ駄目だ。帰りなさい。王は、偉大な魔法使い見たさに理由もなく訪れる不埒者を毛嫌いしておられる。興味本位で王に会おうとすると、ひどい目に遭わされるぞ」
「理由はちゃんとあるわ。あたしたち、ただの興味でこんなところまで来たんじゃないのよ?」
むっとしたかごめが口を尖らせると、法師がまあまあと双方をなだめた。
「翠玉王が偉大な魔法使いだということは承知しております。が、こちらの巫女・かごめさまもまた、偉大なる魔女。お取り次ぎくらいしていただかないと、あなたがひどい目に遭うかもしれませんなあ」
法師が目配せをしたので、かごめは首にかけた四魂の玉を取り出し、男に見せた。
「おお! これはご無礼つかまつりました。しばし、お待ちを!」
見慣れないかごめの衣と彼女の持つ四魂の玉を目にした男は、慌てて御殿の中へ引っ込んだ。
「……法師さま、今の立派な脅しじゃない?」
「向こうが勝手にそう取ったとしても、私の関知するところではありません」
呆れたような口調の珊瑚に弥勒はしれっと言葉を返す。
狩衣姿の男はすぐに戻ってきた。
「偉大なる巫女様のご一行だと申し上げましたら、翠玉王はすぐにでもお会いになりたいそうです。こちらへどうぞ」
壮麗な御殿は、本格的な寝殿造りだった。
「まさに、玉のうてなですなあ」
女官に案内され、簀子縁を幾度も曲がり、渡殿をいくつも渡った。
途中、ふと庭に目を向けた弥勒が出しぬけに声を上げる。
「えっ、まさか」
みな、何事かと法師を振り返ると、彼は雲母に命じて庭の玉砂利を取ってこさせた。
「やはり。これは翠玉だ」
「えっ?」
法師の掌の緑の石に全員の視線が注がれる。
確かにそれはエメラルドのようだった。すると、庭に敷き詰められている緑色の石は全て──?
「遠い異国ではただの石を金剛石に変える錬金術というものがあると聞いたことがありますが、翠玉王も魔法でそのようなことができるのでしょうか」
言いながら、懐へ手を差し込む法師の頬を珊瑚がつねった。
「駄目だよ。ちゃんと返しな」
「はは。見つかってしまいましたか」
咎めるような珊瑚の視線に苦笑を向け、法師は懐にしまおうとした翠玉を二個、庭へ投げる。
釣殿のひとつに案内された一行は、そこで翠玉王を待つようにと指示された。
「ものすごく広い庭ね。ここからの眺めもすごく素敵。昔の貴族のお姫様になった気分だわ」
かごめが嬉しそうな声を上げると、みなを案内してきた女官がにっこりと応じた。
「この御殿は四方四季になっておりまして、ここは春の御殿です。翠玉王の魔法の力で、年中、四つの御殿でそれぞれ四つの季節の景色を楽しむことができるのです」
「へえ。そんなことができるんだ」
「で? そのお偉い翠玉王とやらは、いつおれたちの前に姿を現すんだよ」
ふてくされたような犬夜叉、庭に見惚れているかごめと珊瑚、にこにこと女官を見つめている弥勒。
三者三様、否、四者四様の彼らを雲母はおっとりと見廻した。
「今からお一人ずつ、翠玉王のおられるお部屋にご案内いたします。では、巫女のかごめさま。あなたから」
「あっ、はい!」
いきなり名指しされ、跳ねるように立ち上がったかごめの心臓が、にわかにどきどきと音を立て始めた。
かごめは春の御殿の寝殿に案内された。
しかし、母屋の昼の御座に人影はなく、不思議そうな顔をするかごめに女官はその奥の塗籠を指し示して言った。
「翠玉王はいつもあの中におられます。お仕えするわたくしどもも、お顔を拝見することは叶いません」
「会ってくれるって言ったのに。出てきてくれないの?」
「ですから、ここから先はお一人でお入りください。わたくしどもはあの中へ入ることを許されてはおりません」
少しばかり不安な気持ちに駆られたが、今さら引き返すことはできない。
ひとつ深呼吸をして、かごめは塗籠の妻戸に手をかけた。
「失礼しま……す」
塗籠の中は、御帳台がひとつ、置かれているきりだった。
それ自体はおかしなことではない。
思わずかごめが眼を凝らし、首をひねったのは、御帳台の中にいる“もの”が、人の形をしていなかったからである。
(な、何これ? ゴム風船……?)
これは何だ?
ピンク色の大きな丸い物体が、ふわふわと浮いている。
大きな目玉とおまけみたいな小さな手足が、一応、ついている。
「そんなことより翠玉王は?」
きょろきょろと室内を見廻してみるが、他に人影はない。
かごめは改めてピンクの球体を見た。
「あの、もしかして──たぶん、違うかも、とも思うんだけど」
と、ピンクのそれに人差し指を向けてみる。
「まさか、あんたが偉大な魔法使いの翠玉王?」
「ふっふっふ」
ピンクのゴム風船は厳かに笑った。
その笑い声を聴きながら、魔法使いの定義って何だろう、と、かごめは漠然と考えた。
王道は何といっても黒いとんがり帽子に黒いマントだろう。あとは黒猫に鴉? ほうき?
いや、この世界では魔法使いの色は白だと楓が言っていたから、色などどうでもいい。
別に眼鏡をかけた少年でも、飛蔭を駆る老人でも、ナルシストな美青年でもよかった。和風でなければいけないのなら、陰陽師という職業もイメージ的に合うかもしれない。
しかし、ピンクの球体というのは、あまりにもかごめの想像から掛け離れていた。
(あたし、本っ当にもとの世界へ帰してもらえるの? これは能ある鷹が爪を隠しているの?)
呆然と自分を見つめるかごめに対し、
「お〜ら〜が、い〜だ〜い〜な、魔法〜使いじゃ〜」
ピンク──もとい、翠玉王は厳かに宣言したが、
「……ああ、そう」
なんだか一気に力が抜けてしまったかごめは、ため息のような気のない返事をした。
2008.2.3.