おらは魔法使い?

第八章 翠玉王との対面

 ピンクの丸い翠玉王と対面したかごめは、しばらく戸惑っていたが、すぐに気を取り直した。
(そうよ、常識でものを考えちゃ駄目! 姿はこうでも、偉大な魔法使いなんだから)
「お〜ぬ〜し〜が〜巫〜女〜の〜」
 勿体ぶった口調で話し出した翠玉王の言葉を、悪いと思いつつ、かごめは遮った。
「あの、普通にしゃべってもらえませんか? なんか、時間かかっちゃうので」
「おぬしが巫女のかごめという者か?」
 どこかほっとしたような翠玉王の口調から察するに、やはり普通に話すほうが楽らしい。
「そうです」
「偉大な魔法使いのおらに何をしてほしいんじゃ」
「あたしをもとの世界へ戻してもらいたいんです」
「もとの世界?」
 翠玉王は丸い身体を傾ける。首をひねっているつもりらしい。
「あたしは自分でも判らないうちに別の世界からこの世界へ飛ばされてきました。でも、帰る方法が解らないんです。偉大な魔法使いのあなたなら、あたしを家に帰すことくらい簡単にできるでしょう?」
 翠玉王はうーんと唸った。
「かごめとやら。おぬしは巫女で、魔女なんじゃろ? 自力で帰れそうなものじゃが」
「それができないからここへ来たんじゃないですか」
 またしても翠玉王はううーんと呻く。
「で? あたしの願いは叶えてもらえるんですか?」
「そうじゃのう。叶えてやらんこともないが」
 考え考え、翠玉王は探るようにかごめを見遣る。
「世の中、ぎぶ・あんど・ていく、というじゃろう? おらがおぬしの望みを叶える前に、おぬしがおらの頼みを聞いてくれるか?」
「あたしにできることなら何でもしますけど」
「西の国を支配している悪い魔法使いをやっつけてほしいんじゃ」
 かごめは眼をぱちくりさせた。
──はあっ?」
 驚いたかごめは相手が偉大な王であることも忘れ、敬語をかなぐり捨てて叫んだ。
「何それ! それこそ、自分でやっつければいいじゃない」
「交渉決裂じゃな」
 意地悪く言うピンクの丸いものをかごめは睨みつける。
「すごい魔法使いのあんたと普通の女の子のあたしとじゃ、立場が違うでしょ。なんであたしがそんなことしなくちゃなんないのよ」
「だが、おぬしは四魂の玉を持っておるんじゃろうが。あれは確か、東の国の魔女が持っていたはず。東の魔女は異国の巫女に倒されたという噂を耳にしたが、それはかごめのことではないのか?」
「確かに、それあたしだけど……」
「東の魔女を倒せたんじゃ。ついでに西の魔法使いも倒してくれんか」
「無理よ。東の魔女のときは偶然だったんだもの」
「四魂の玉があるではないか。それはものすごい力を秘めた玉だと聞くぞ?」
 はあぁっとかごめは大きなため息をついた。
「どうしてもその条件を呑まなきゃ駄目?」
「そうじゃ。西の魔法使いを退治してくれたら、おぬしの望みも叶えてやろう」
「はあ……」
 がっくりとうなだれて、かごめは翠玉王の前から退出した。

 釣殿へ戻ってきたかごめは、翠玉王とのやりとりの一部始終を仲間たちに話し、表情を曇らせた。
「どうしよう。翠玉王が最後の頼みの綱だったのに」
「かごめちゃん……」
「心配するな、かごめ。そんな桃色大入道、おれがぶっ飛ばしていうことを聞かせてやる」
 そのとき、女官がやってきて弥勒に声をかけた。
「法師さま、翠玉王がお呼びです」
 錫杖を手にすっと立ち上がると、弥勒はなぐさめるようにかごめの肩に手を置いた。
「かごめさまのこと、何とか私からも翠玉王に頼んでみましょう」
──うん。ありがとう、みんな」

 弥勒は、かごめと同じように寝殿の塗籠へと案内された。
「ここからはお一人でどうぞ」
 女官の指示通り、一人で塗籠の中へ入った弥勒は、当然、ピンク色の大きな丸い物体がいるものだと思っていた。
 が、しかし。
「ん?」
 御帳台の中にしとやかに座っているのは、若草の重色目の小袿をまとったうら若き女性。
 それもとびきりの美女だった。
「こっ、これは──!」
 弥勒は、小袿姿の美しい姫君につつつ、と近寄ると、そっと膝をつき、その小さな手を取って握りしめた。
「姫、私の子を産んでください」
「……え゛」
 姫君の表情がぴきっと引きつる。
「ほ、法師の弥勒とやら。そなたの翠玉王への願いとはそれか?」
「えっ? ああ、失礼。あなたさまが翠玉王ですか?」
「そうじゃ」
 法師はこほんと咳払いをひとつ。
「翠玉王は偉大なる魔法使いで、何でもできるお方とうかがいました」
 じいぃっと美女の翠玉王の眼を見つめる法師の手から、翠玉王はさりげなく自分の手を引こうとしたが無理だった。
「美しいあなたにとって、私に叡智を授けるくらい雑作もないでしょう」
 法師は握っている翠玉王の手をさらに強く握りしめる。
「美しいとどう関係があるのか解らんが」
 と、今度こそ翠玉王は力任せに自分の手を法師から引き戻した。
「そなたの望みは叡智なのだな? しかし、その前にわらわの頼みを聞いてもらわんと」
「かごめさまにおっしゃった、西の魔法使いのことですか?」
 翠玉王がうなずくのを見て、弥勒は軽く眉を上げた。
「何故、ご自分で西の魔法使いを退治なさらないのです? あなたのような偉大な魔法使いが」
「わらわのようなか弱いおなごに、邪悪な魔法使い退治ができると思うか?」
「おっしゃる通りです」
 間髪を容れずに大きくうなずき、弥勒は再び姫君の手を取った。
「西の魔法使いを退治してまいりましょう。そうすれば、私に叡智を授けてくださるのですな?」
「や、約束する……」
 相手の勢いにやや圧され気味の翠玉王は、大きくうなずき、法師に退出を促した。

「どうだったあ? 弥勒」
 神妙な顔をして釣殿に戻ってきた法師を犬夜叉が振り返った。
「西の魔法使いを退治してくると約束してきました」
「ああ?」
「いや、なんとも美しい姫君でした」
――それが何?」
 珊瑚の眉がぴくっと動き、かごめが驚いた表情を見せる。
「えっ、ピンクの風船じゃなかったの?」
 弥勒はおもむろにみなの近くに寄り、腰を下ろした。
「おなごの頼みを断ることなど、私にはできません。やわらかい手だった……あ、いえ。つい、引き受けてしまいました」
 珊瑚がものすごい形相で身を乗り出し、両手で床板をばんっと叩く。
「阿呆かっ!」
「弥勒さま、また悪い癖……」
「あんたは頼りにならんっ。かごめちゃんのことも、あたしが翠玉王に掛け合ってくる!」
 この御殿に着いたときから女官にしきりに秋波を送って──珊瑚にはそう見えた──いた弥勒に何となく苛々していた珊瑚は、自分から女官を急き立てるようにして、翠玉王のいる寝殿へと向かった。

(大入道でも姫君でも、あたしは外見なんかに騙されないからね)
 女官に言われるまま、一人で塗籠に入った珊瑚は、強敵にまみえる退治屋の顔で室内を見廻す。
 しかし、室内の空気は動かず、何かがいる気配もなかった。
 ふと見ると、御帳台の中に小さなお地蔵さまがちょこんと立っている。
「……」
 妙に目玉の大きいお地蔵さまだと思ったが、珊瑚はすたすたとその前まで足を進めると、すっと膝をつき、手を合わせた。
「人間らしい、やさしい心が授かりますように。琥珀があの世で安らかでありますように。かごめちゃんが無事に家へ帰れますように」
 そして、小さな声でぼそっと付け加えた。
「……あのスケベ法師の女好きが直りますように」
 お地蔵さまのこめかみに、たら、と冷や汗のようなものが流れたように見えたが、気のせいかもしれない。
「よし!」
 気合いを入れるように言うと、珊瑚はすっと立ってすっと出ていこうとした。
「ちょっと待てい!」
「ん?」
 珊瑚が振り返ると、お地蔵さまがこめかみをひくひくさせて怒っていた。
「言うだけ言って行くんかい! おらが頼み事をする暇もないじゃろうがっ」
「あ。あんた、しゃべれるんだ」
「かごめとも弥勒ともしゃべっておったと聞かなかったか? いや、そんなことより、おまえの望みを叶える代わりに、おらの条件を呑んでもらわんと」
「嫌だね。困っている民を救うのが王様の仕事だろ? 法師さまはともかく、かごめちゃんの願いは叶えてあげてよ」
 どうやら珊瑚は、美姫の姿をした翠玉王に対する法師の態度が相当気に食わなかったようだ。
「珊瑚とやら。おまえは妖怪退治屋じゃろう?」
「そうだけど」
 お地蔵さまは余裕の笑みを見せる。──お地蔵さまって笑うのか、などと珊瑚はどうでもいいことを考えていた。
「では、おらが珊瑚に妖怪退治を依頼する。西の魔法使いは妖怪じゃ。もっと正確にいうと半妖じゃ」
「何だって?」
「困っている民を救うのが王の仕事なら、妖怪を退治するのが珊瑚の仕事じゃろう? その報酬として心を授けてやろう。これならどうじゃ?」
 退治屋としての誇りに訴えられれば、彼女に否応はない。
 珊瑚は凛と表情を引き締めてお地蔵さまの翠玉王を見遣った。
「解った。相手が妖怪なら、退治するのはあたしの役目だ。報酬はあたしたち四人の願いを叶えること。それでいいか?」
「よかろう」
 お地蔵さまは満足げににんまりと笑った。

「……おい、おめえもかよ」
 釣殿に戻り、西の国の魔法使い退治を引き受けたことをみなに告げると、犬夜叉が呆れたような眼で珊瑚を見た。
「だって、西の魔法使いは妖怪だっていうんだ。妖怪退治はあたしの生業だし、それでみんなの願いが叶うんだったらいいじゃないか」
「あ゛ーっ、もう! どいつもこいつも翠玉王の言いなりになりやがって。てめえらは駆け引きというものが解ってねえ! どんな交渉してきたんだよ」
 憤然とまくしたてる犬夜叉を、かごめ、弥勒、珊瑚の三人は、釈然としない表情で見つめ返した。
「……な、なんだよ」
「あたしが言うのもなんだけど……」
「駆け引きに一番向いてないのは」
「むしろ、あんたのほうじゃない?」
 息がぴったりの三人に、ややたじろいだ形の半妖の少年は憤慨してむすっとなる。
「ふん。じゃあ、今度はおれが行って、今すぐこっちの希望を叶えさせるよう直談判してきてやる。西の魔法使いの話なんざ、それからだ」
 勢いよく立ちあがった犬夜叉を三対の眼が追う。
「いやぁ、無理じゃないでしょうか」
「あたしも、そんな気がする」
「いい? 暴力に訴えちゃ駄目よ?」
「けっ! どいつもこいつもっ」
 ふてくされる銀髪の少年を大きな赤い眼で見上げ、雲母だけが応援するようにゆらゆらと二股の尻尾を振って、みゃ、と鳴いた。

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2008.3.20.