浮き島奇譚 −第一話−

 この村に足を止めて、二日が過ぎる。
 数日前の戦闘で怪我をした雲母のため、犬夜叉たちの一行は村の名主の家に滞在していたが、明日には出立できそうだ。
 久しぶりに屋根の下でゆっくりと眠り、他の者も充分に休養を取った。
 そんな朝、名主の家へ男が一人、訪ねてきた。
「ここに、旅の法師さまが泊まっていると聞いたのですが」
 居間で名主と対座した男は、同席した風変わりな一行を見渡し、切羽詰まったように訴えた。
「私が法師の弥勒です」
「法師さま。わしは隣の村の名主様の使いです。わしらの村まで来ていただいて、相談に乗ってはもらえませんか」
 法師に向き直り、頭を下げる男を見遣って、かごめが隣に座る犬夜叉にささやいた。
「隣に村なんて、あった?」
「あの山の麓ですよ」
 かごめの声が聞こえたらしく、この家の主人が、開け放たれた縁側の向こうに見えるなだらかな山を指差した。
「一体、何があったんじゃ?」
 七宝が話の先を促す。
「名主様の娘御が、突然、行方知れずに」
「えっ?」
「娘御はこの辺りでも評判の美女。調べてみると、他にも若い娘が数人、行方をくらましており、いずれも器量よしだと聞いています。こんなことは初めてで、どうしたらよいものか……」
 若い娘、しかも美女という言葉に、みな一様にぴくりと反応し、次いで、法師を除いた全員の視線が一斉に法師へと向けられた。
「解りました。これからすぐにそちらへ向かいましょう」
「おお、来ていただけますか」
「そうね。雲母の付き添いには、珊瑚ちゃんか、七宝ちゃんか、一人残せばいいわよね。すぐ支度するわ」
 だが、そんなかごめを法師は制した。
「かごめさまと珊瑚はこちらで待たせてもらってください」
「どうしてさ」
 不服そうな珊瑚が法師を見遣ると、弥勒はしごく真面目な顔つきで女性陣を見た。
「これが何かの事件で、若い娘が狙われているとしたら、かごめさまと珊瑚が同行するのは危険です」
「それもそうだな。じゃあ、おれと弥勒で、さっさと片付けてこようぜ」
 話は決まったとばかりに、犬夜叉が立ち上がりかけたが、それでも弥勒は考え深げに眉をひそめた。
「若い娘ばかりを狙うということは、人攫いの可能性も高い。相手が人間なら、私一人で充分かもしれませんな」
「……どーしても一人で行きたいんじゃな」
 七宝が冷静に突っ込む。
 弥勒は仏頂面の珊瑚の正面におもむろに膝をつくと、彼女の手を握りしめ、愛しい娘の顔をじぃっと見つめた。
「まずは私が一人で様子を見てまいります。いいですね、珊瑚?」
「駄目だ。法師さま一人なんて」
「私が信用できないのですか?」
 蠱惑の瞳で見つめても、珊瑚は動じなかった。
「駄目。日頃の自分の行いを省みなよ」
 弥勒は大きなため息をつく。

 結局、使いの男と一緒に隣村へおもむく弥勒に、珊瑚はついてきた。
 小袖姿のままだが、飛来骨は背負っている。
 何となく当てられたようになって、気が抜けた犬夜叉は一緒に来なかったが、雲母のことはかごめに頼んできた。
 弥勒はというと、まんざらでもない様子で、傍らの珊瑚ににこやかな微笑みを向けている。
「珊瑚の焼きもちも、だいぶ解りやすくなりましたな」
「だって、心配じゃないか」
 一応、将来を約束しているのに、それは想い合っているからだと信じているのに、他の娘と係われば、必ずちょっかいをかける法師を放ってはおけない。
「おまえの気持ち、嬉しいですよ」
 心を読まれたようで、珊瑚は赫くなってうつむいた。

 山の麓の村を訪れた弥勒と珊瑚は、さっそく、その村の名主のもとへと案内された。
 名主はひどく憔悴している。
「平和な村で、このような事態は初めてです。みな、妖怪に襲われたのかもしれません。隣村に旅の法師さまが滞在なさっていると伺い、そのような方でしたら、解決のために手を貸していただけるのではないかと、使いを出しました」
「名主様のお娘御も行方が判らないとか」
「そうなのです。祝言の日取りも決まっているというのに……不憫な娘です」
 名主からひと通りの話を聞いた弥勒と珊瑚は、策を練るべく、屋敷の外へ出た。
 山の緑が近く、田畑に囲まれた豊かな村だ。
「どうする、法師さま? 人間の人攫いか、妖怪か、判断がつかないね」
「もう少し情報を集めてみなければな。だが、おまえは名主様の屋敷で待っていなさい」
「あたしも手伝うよ」
 ここまで来たのに、と釈然としない珊瑚は責めるように弥勒を見た。
「失踪したのは、おなごばかりだと聞いたでしょう?」
「相手が人間なら、飛来骨みたいな目立つものを持っている女は狙わないだろうし、妖怪なら、あたしの本業だ」
「心配しているのが解りませんか?」
「あたしだって、法師さまを心配しているんだよ?」
「それは解っている。……ありがとう、珊瑚」
 不意に、弥勒の腕が珊瑚の身体を抱いた。
 飛来骨が滑り落ち、衣越しに法師を感じて、珊瑚の鼓動が大きく跳ねる。弥勒はそのままの姿勢で珊瑚の耳にささやいた。
「では、まず聞き込みを。ですが、珊瑚は村の中から出ないように。ひと気のない場所には、絶対に行かないと約束してください」
「うん。解った」
 珊瑚は、己を抱きしめる法師の背に控えめに手を添え、小さな声でささやきを返した。
「法師さまも、見つかった人を片っ端から口説かないって約束してね」
「はいはい、解りましたよ」
 珊瑚の心配が主にそちらへ向けられているのは明らかで、弥勒は苦笑した。

 聞き込みでも思ったほどの成果は出なかった。
 名主の娘は別にして、失踪しているのはいずれも身寄りのない者たちで、名主が捜索を始めなければ、いなくなっても誰も気にかけないような、そんな娘たちばかりであったのだ。
 行方不明とされる三人の娘がいつ消えたのかさえ、村人たちの記憶になかった。
「そういえば、男と一緒のところを見たわね」
 娘の一人と同じ屋敷で下働きをしていたという、中年の女が珊瑚に語った。
「その娘のいい人?」
「いい人がいたなんて、聞いてないけど。でも、山の登り口のほうへ向かうようだったから、逢い引きだったのかもしれないよ。無愛想だけど、器量はいい娘だったから」
 その男が何か知っているかもしれない。
 けれど、村の男ではないようだったと女は言い、顔もよく覚えていないという。
 珊瑚は礼を言って、山の登り口へと向かった。

 そんなに都合よく手掛かりが落ちているはずもない。
 飛来骨を背負い直し、珊瑚は、行方知れずの娘の一人が数日前にいたという場所を訪れたが、法師との約束を思い出し、ふと、足を止めた。
(村を出ちゃ駄目だ)
 踵を返す。
 どこかで甲高い鳥の啼き声が聞こえ、空を振り仰ぐと、鮮やかな朱い鳥が森へ向かって飛んでいくのが見えた。
 何の鳥だろう?
(もしかして、妖……?)
 追うべきか、法師に告げるべきか。
 珊瑚自身は追いたい気持ちが強かったが、ここは弥勒を探して報告すべきだと思った。まだ退治屋の装束に着替えてもいない。
 二手に分かれて情報を集めているので、彼も村内か、村の周辺にいるはずだ。
 森を振り返りつつ、珊瑚は弥勒のもとへと急いだ。
 と、そんな彼女の行く手を、突然、ひとつの影が阻んだ。
「行方知れずの娘たちについて、嗅ぎまわっているというのは、おまえか?」
 若い男だった。
 背に太刀を帯びているだけで、目立った武装はしていないが、得体の知れない風体が野武士を思わせた。
 だが、何かがおかしい。
 男の髪は珍しい断髪だ。そして、その髪は少し青みがかっていた。
 珊瑚は男を鋭く見据えた。
「おまえは村の者か?」
「おれは童子だ。そう言えば、解るか?」
「!」
 人ならぬ者として、童子という言葉から連想されるのは鬼だ。
 何ゆえ“童子”なのか、言葉の解釈は様々だが、成人していても結髪をせず、あるいは履き物を履かず、童子のようななりをしているからそう呼ばれるという説もある。
 珊瑚は改めて男を観察した。
 履き物は履いている。
 背は弥勒と同じくらい、髪は耳や首筋にかかっているが、結う必要のない長さだ。
 切れ長の眼が鋭い光を放ち、触れると切れそうな印象だが、その姿や面立ちは端麗だった。
 角はない。牙もない。爪が尖っているわけでもない。
 でも、青年自身が、そう名乗っているのなら。
「……おまえは、鬼なのか?」
「ああ」
 珊瑚を瞳に映したまま、青年は薄く笑った。
「何故、角がない?」
「角のない鬼の存在を知らないか? 女。おまえは、何故、おれたちのことを探っていた」
 青年が一歩前へ進み、警戒の色を濃くした珊瑚は、一歩、後ろへ後退さった。
「頼まれて、行方知れずの村の娘たちを捜している。おまえが攫ったのか? 鬼というなら、喰らうために?」
「地上の鬼はそうかもしれんが、おれたちは嫁取りに来ただけだ」
「嫁取り……?」
 訝しげに珊瑚が眉をひそめた、そのとき、
「タケル」
 もう一人、男が現れた。
 刀は持たず、筒袖に括袴という、ごくありふれた格好だが、やはり結髪しておらず、肩より少し長い赤みを帯びた髪を女のように垂らしている。
「もう数はそろった。そろそろ帰るぞ」
「ああ」
 長髪の男の言葉にうなずきつつも、タケルと呼ばれた青年は、珊瑚の顔を見つめたままだ。
 彼の瞳は瑠璃のように青い。
 始めは、娘たちを攫った野武士か山賊がふざけているのではと半信半疑だった珊瑚も、この瞳の色を見ては、彼が人間ではないと信じざるを得なかった。
 いつまでもタケルが彼女から眼を逸らさないので、焦燥を覚え、珊瑚は屹となった。
 娘たちと係わりがあるなら、口を割らせなければならない。右腕の仕込み刀を突きつけようとした瞬間、その腕を掴まれた。
「!」
「隠し武器だな。刀か」
 タケルは不敵ににやりと笑った。跳ね上げる前に、仕込み刀ごと腕を掴まれている。
 珊瑚は愕然とした。
(なんて力だ)
 動きを見切られたことも、その動きを封じられたことも、にわかには信じられなかった。
 掴まれた腕を動かすことができない。
「綺麗な女だな」
 動けないまま、近い距離で顔を合わせるようにして見つめられ、思わずたじろいだ珊瑚はタケルを鋭く睨めつけた。
「深草、決めた。おれはこの女にする」
「ちょっ、放せ!」
 タケルは珊瑚の声を無視して、深草を振り返った。
「強い女が欲しかったんだ。それに美しい。一人くらい追加したって構わないだろ?」
「好きにしろ」
 深草は淡々と答えた。
「だが、人が来たぞ。その娘の身内じゃないか? 自分で交渉しろ」
 三人の頭上高く、朱い鳥が旋回した。
 その鳥を追ってきたらしい法師が、男に腕を掴まれ、動けない珊瑚を見て、はっとなって眼を見張った。
「珊瑚……?」
「法師さま――!」
 珊瑚の困惑を読み取り、男たちを見る弥勒の表情がたちまち険しさを増す。
「何をしている。その娘を放してもらおうか」

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2013.4.25.