浮き島奇譚 −第二話−

 朱い鳥が、警鐘のように甲高い声で啼く。
 あまり美しい声ではない。
「珊瑚を放せと言っている」
 珊瑚の腕を掴む断髪の青年を、弥勒はじっと見据えて言った。
 鋼のごとき力で腕を固定された珊瑚は、身動きがとれずにいる。少し離れた位置には、長髪の、こちらも若い男がたたずみ、仲間と法師の対峙を見守っていた。
「法師さま、娘たちの行方について、こいつらが何か知っている。だけど、二人とも人間じゃない」
「何……?」
「“童子”だって」
「つまり、鬼か?」
 緊迫した空気が流れる。
「法師さま、か。女の身内ではなさそうだな」
 断髪の青年・タケルがつぶやく。
 弥勒の眼が険呑な光を帯びた。
「身内ではないが、珊瑚はおれの女だ。人間じゃないなら、手加減はいらねえな」
「恋敵か。じゃあ、こちらも容赦しない」
 刹那、タケルが地を蹴った。
 同時に背に負った太刀を抜いたので、はっとした弥勒が錫杖でそれを受ける。
――!」
 凄まじい爆風が吹き抜けた。
「法師さま!」
 叫ぶ珊瑚が眼を見張った。
 太刀と見えたのは金砕棒かなさいぼうであった。
 金砕棒に棘はなく、一見、錫杖の柄の部分のようにシンプルな棒だが、鉄製でかなりの重量があることは一目瞭然だ。それをタケルは片手で操る。
「く……っ!」
 風圧に弾かれ、後方に飛ばされた弥勒はかろうじて踏みとどまると、鋭い視線でタケルを睨んだ。
「とっさに結界を張ったか。普通なら、錫杖ごと頭を割られ、死んでいるはずだ」
 タケルが片手を高く上げると、飛んでいた朱い鳥が、その手に舞い降りてきた。七寸ほどの鳥の体は鮮やかな真朱色、そして体と同じ長さほどもある尾の飾り羽はススキの穂を束ねたようだ。
 と、自由になった珊瑚が、間髪をいれず、タケルへ飛来骨を振り下ろした。
 彼は鳥を素早く空へ放ち、素手でそれを受け止めた。
「……!」
「油断のならない女だな」
 対妖怪用の武器でダメージを与えられないことに珊瑚は愕然とする。
「おまえの男はかなりの法力の持ち主らしいな。だが生憎、おれは行者や坊主、陰陽師なんかが嫌いでね」
 タケルは再び法師に迫った。
真朱まそお!」
 鳥を呼び、金砕棒を振るう。
 一振りしただけの動作なのに、爆風が渦巻き、またしても弥勒は衝撃で飛ばされそうになる。
 錫杖を両手で水平に構え、念を集中させて防いだが、風は強い妖気を含んでいる。弥勒は錫杖を地面に突き立て、風が去ると同時に、破魔札を取り出そうと懐に手を入れた。
 頭上で朱い鳥がくちばしを開き、声なき声を上げる。
(! なんだ、これは?)
 全身の力がふっと抜けた。
(法力が吸い取られている――?)
 たちまち結界が解け、再び、タケルが金砕棒で空気を裂いた。
 悲鳴のような風の音。
 裂かれた空気から湧き上がる風は地面を抉り、飛ばされた土塊や石が凶器となって、凄まじい勢いで弥勒の皮膚を裂き、全身を打った。
 痛みが全身に突き刺さるようだ。
「くっ――!」
「法師さま!」
 弥勒に駆け寄ろうとした珊瑚の腕をタケルが掴む。
 頬や腕に血を滲ませ、錫杖を支えに、弥勒はふらりと地に膝をついた。
「法師さまに何をした!」
「法力、霊力の類は鬼を縛す。だから、あの鳥に法力を喰わせた」
「法力を?」
 珊瑚は激しい瞳でタケルを睨んだ。
「放せ! 法師さま……! 法師さま!」
「安心しろ。殺しはしない」
 逃れようとする珊瑚の鳩尾にタケルは一撃を食らわせた。
「っ……!」
 気を失った珊瑚の崩れる身体を抱きかかえ、タケルは軽々と自らの肩に担いだ。
「珊瑚――! てめえ、珊瑚に手を出しやがったら、ただじゃすまさねえぞ!」
 苦しげな呼吸のもと、弥勒は何とか体勢を整えようとするが、あちこちに裂傷を負い、何より、法力を奪われ、力が入らず、すぐには立ち上がれないようだった。
 タケルは冷たく法師を見遣った。
「そんなことが言える立場か。おまえを殺さないのは、この女が後追いしそうだからだ」
 タケルは金砕棒を背に負った鞘代わりの革袋にしまい、立ち上がろうとする弥勒の腹に拳をめり込ませた。
「ぐっ……」
 崩れ落ちる法師をちらりと見遣り、空を仰ぐ。
「真朱。こいつの法力、喰えるだけ喰え」
 珊瑚が連れていかれる。
 朦朧とする意識の中、弥勒は、目の前に下りてきた鳥の長い尾を無造作に掴み、払いのけた。慌てた鳥が甲高い声をあげて羽ばたく。
 倒れたまま、風穴を開こうと左手で数珠を掴むが、これでは珊瑚も一緒に吸い込んでしまう。
(珊瑚)
 意識が遠ざかっていく。
 身を裂かれるような想いで、弥勒は珊瑚が断髪の青年に担がれて、連れ去られるのを見ていた。その光景も、次第にぼやけ、闇に閉ざされていく。
「真朱」
 名を呼ばれた鳥が、かかげられた深草の腕にとまった。
 法師が完全に意識を失ったのを見届け、深草もその場を立ち去った。

* * *

 珊瑚が意識を取り戻したとき、どこかの農家の居間のようなところに寝かされていた。
「う……」
 そろそろと身を起こすと、
「大丈夫?」
 女の手で助け起こされた。
 驚いてそちらを見遣ると、若い娘ばかり数人が固まり、心配そうに珊瑚を取り囲んでいた。
「あんたたち、一体……」
「あたしたち、みんな、嫁として連れてこられたんだよ」
「嫁?」
「あんたもそうなんでしょ?」
 問われた珊瑚は、娘たちの人数を数えた。
 見目よい娘ばかり、七人いる。
(あの村で行方知れずになったのは名主様の娘を入れて四人だったはず)
 弥勒は無事だろうか。
 彼の身を案じ、珊瑚の表情がわずかに曇った。
「あたしは、山の麓の村の名主様に頼まれて、行方知れずになった村の娘たちを捜していたんだ」
 見廻すと、大輪の花のような、ひときわ目立つ美貌の娘がいた。
 褶を着けておらず、他の娘よりもひと目で上等と判る小袖をまとっているから、彼女が名主の娘であろう。
「あんたが名主様の?」
 娘はおどおどとうなずいた。
「無事でよかった。名主様はとても心配されていた。逃げる算段を考えるから、みんな一緒にここを出よう」
 だが、脱出を促す珊瑚の言葉に、娘たちは煮え切らない様子で、互いに顔を見合わせている。
「あの……あたしたち、攫われたんじゃないよ」
「え?」
「別の里へ嫁に来てもいいという娘を探しているって、声をかけられて、自分の意思でついてきたんだ」
「あたしもそう」
「あたしも……」
 口々に言う娘たちに驚き、珊瑚は名主の娘に視線を向けた。
「あんたも?」
 名主の娘は困ったようにうつむいて答えた。
「わたしは祝言が嫌で、逃げてきたんです」
「でも、名主様や周囲の人をあんなに心配させて……嫌なら嫌だって、父上にそう言えばいいじゃないか」
「言いました。でも、聞いてくれるような父ではありません。相手は村一番の物持ちの長者の跡取りで、蛇のように嫌な男なの」
「……あたし、お嬢様の気持ち、解るよ」
 唖然とする珊瑚の横で、別の娘が小さな声でつぶやいた。
「あたし、その屋敷で下働きをしてたんだけど、若旦那様には何かにつけて身体を触られたり、自由になれと迫られたり……拒むと、つらい仕事に廻されて、もう、耐えられなくなって」
 泣きつく身寄りもなく、屋敷を抜け出して泣いているところを、深草に声をかけられ、そのまま彼についてきたのだという。
「深草って、赤っぽい髪を結わずに垂らしている男?」
「あの人、素敵だったから」
 娘は恥ずかしそうに下を向いた。
 娘たちは、いずれも身寄りがなく、孤独で厳しい境遇におかれていた。
 あの村以外からも連れてこられた娘はいたが、戦で全てを失った者や、人買いに攫われて、廓に売られそうになったところを逃げ出したという者もいた。
 全ての娘に共通するのは、今までの境遇から抜け出せるなら、見知らぬ里へ嫁いでもいいと考えていることだ。
 少なくとも、嫁として待遇され、きちんとした居場所を与えられ、標準的な山里の暮らしを約束される。
「あんたたちは、あいつらが何者か知ってるの?」
 娘たちは顔を見合わせた。
「“童子”だって言ってた。おかしな名前の一族だけど、でも、ちゃんとした里みたいだし」
 童子が鬼を意味していることは知らないらしい。
 がたん、と表の戸が開き、深草が部屋の中へ入ってきた。
 娘たちに囲まれている珊瑚に目をとめ、無表情に言い放つ。
「珊瑚といったか。来い。タケルが呼んでいる」
 硬い表情で立ち上がる珊瑚に、名主の娘が声をかけた。
「あ、あの。もし、あなたが村へ帰るなら、お父様とお母様にわたしは無事だと伝えてください。自分で幸せを探すつもりだって。それから……ごめんなさい、って」
「……」
 返事に困り、珊瑚は黙ってうなずいた。

 家の外へ出た珊瑚は眼を見張った。
 山の緑に囲まれた、穏やかでのどかな山里の風景が広がっている。
 もといた山の麓の村とは全く印象が異なる風景だ。
「珊瑚……だったな。気絶させてすまなかった。おれはタケルだ」
 深草に連れられて外へ出た珊瑚を、待っていたタケルが、切れ長の眼で穏やかに見つめて言った。
「法師さまはどこ?」
 警戒を解かず、珊瑚は低い声で短く訊く。
「ここには連れてきていない」
「ここはどこなの?」
「おれたちの隠れ里だ。浮き島と呼んでいるが、別に水に浮いているわけではない」
「浮き島?」
「ただ、閉じた空間になる。外界に通じる道が山にひとつだけあるが、通常は閉じられ、次に道を開いたときは、前とは違う山に通じる。固定された位置にないので、浮き島と呼んでいる」
 珊瑚は絶句した。
 閉じられた空間?
 そして、自分はその中に、弥勒は外にいるのか。

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2013.5.3.