聖夜
今にも雪が降り出しそうな夜だった。
せっかくのクリスマス・イブだというのに、珊瑚は憂鬱を絵に描いたような表情でため息をついた。
(なんで、聖歌隊なんかに入っちゃったんだろう)
同じ高校の二つ先輩の弥勒に誘われ、とある教会が一般公募していた聖歌隊に参加したのは珊瑚自身が決めたことだ。
しかし、週三回の練習のたびに、聖歌隊のメンバーの女の子たちと楽しそうに談笑している弥勒を見なければならないことは、密かに彼に想いをよせている珊瑚には予想以上につらかった。
(先輩に誘われて嬉しかったのに。これがきっかけでもっと先輩と親しくなれるかも、なんて期待したりしてさ、あたしったら馬鹿みたい……)
イブのミサも賛美歌の合唱も終わり、この日の聖歌隊の役目は終わった。
あとは明日のクリスマスミサの本番で最後である。
聖歌隊のメンバーは、ミサが終わると、それぞれイブの夜を楽しむためにさっさと帰っていった。
珊瑚もこの聖歌隊で親しくなった何人かにパーティーに誘われたが、とてもパーティーを楽しむような気分にはなれず、全て断ったため、一人、教会に残されてしまったのだ。
(今夜は琥珀も同級生の家に招かれているって言ってたし、父さんは仕事で遅いんだっけ)
家に帰ったところで、一人だ。
(弥勒先輩、ミサが終わったら真っ先に教会飛び出しちゃってさ。どうせ今頃、どこかのパーティーで女の子に囲まれてデレデレしてるんだろーけど!)
苛立つ気持ちに比例して足取りは重い。
赤いコートを着た珊瑚は、無人の教会の扉を開き、外に出た。
「さむ……」
扉を閉め、夜気にさらされ、思わずそうつぶやいたとき、
「寒いのはこっちですよ。随分待たせてくれましたね」
すぐそばで聞きなれた声が聞こえ、珊瑚はぎくりとした。
「み、弥勒先輩……?」
弥勒はむすっとした表情で珊瑚の頬を両手で包む。
「冷たっ!」
「おまえが遅いのですっかり冷えてしまいました」
彼はずっとここにいた──?
「先輩、何でこんなところにいるの? いろんな女の子から誘われてたくせに」
「だから、出てくるおまえを一番に捉まえようと待っていたんですってば」
眼をぱちくりさせる珊瑚に弥勒は痺れをきらしたように言った。
「ああ、だからもう! おまえを誘うために他のパーティーは全て断りましたよ」
「えっ?」
女好きで有名な先輩がっ!? と珊瑚が真顔で驚くと、弥勒はため息をついた。
「ここで、この場所で、おまえに渡したかったんです」
差し出されたのはリボンがかかった小さな箱。
「何これ?」
「あのねえ。イブなんですから、クリスマスプレゼントに決まってるでしょう」
今度は珊瑚が呆れた表情になる。
「……先輩、まめだね。聖歌隊の女の子みんなに配ったの?」
「おまえだけですよ」
そう言って、弥勒はふわりと珊瑚の顔に覆いかぶさると、彼女の額に軽く唇を当てた。
(え──?)
顔を離した弥勒を見上げると、満足そうににっこりと笑みを浮かべている。
「先輩っ! いまっ、キ、キ、キ……」
額を押さえて真っ赤になる珊瑚に、弥勒は彼女の頭上を指差した。
「本当は唇にしたかったんですけどね。おまえは純情ですから」
彼女が背後を振り返ると、教会の扉には柊と宿木を使った大きなリースが飾られてある。
「クリスマスの夜は、宿木の下にいる女の子にキスが許される。もちろん、珊瑚も知ってますよね」
「……」
悪戯っぽく笑う弥勒の表情に惹き込まれ、珊瑚は言葉を返す余裕すらなかった。
弥勒は再び身をかがめ、今度は朱に染まった頬に口づける。
「おまえへの告白はイブの夜、ここでと決めていた」
告白……?
「珊瑚、おまえが好きだ」
低く甘いささやきに、珊瑚の思考が混乱する。
告白って──弥勒先輩があたしに?
「返事は明日の朝、クリスマスミサが終わったあと、この場所で。いいですか?」
真っ赤な顔のまま、珊瑚はこくこくとうなずく。
弥勒は嬉しげにそんな珊瑚の手を取ると、木々を電飾で飾った教会の庭を歩き出す。
「このあと、予定はないんでしょう? 今から私の家で二人きりのイブを過ごしませんか。ケーキとシャンパンも用意してますし」
「……先輩、お寺の息子じゃなかったっけ?」
「それはそれ。これはこれです」
「調子いいんだから」
珊瑚はくすりと笑みをこぼす。
さっきまであんなにも憂鬱だったイブが、弥勒の笑顔ひとつでキラキラした夜に変わった。
“あたしも先輩のことが好き”
明日、ちゃんと言えるだろうか。
(雪……雪が降ったら、きっと素直になれる。ちゃんと伝えるんだ、あたしの気持ち)
心の中で願掛けをしたとき、隣を歩く弥勒が空を仰いだ。
「珊瑚、雪だ」
「あ……」
ちらちらと白いものが舞い降りてきた。
夜道を歩く二人は、少し足を止め、空を見上げた。
それは、天からのささやかな、二人への贈り物。
Fin.
後日談/初詣で編
2007.12.1.