My Sweet Valentine 2
ホワイトデー編
「では、改めて」
弥勒は小さな箱から取り出したケースを珊瑚の手に渡した。
大学の近くに借りているワンルームの珊瑚のマンションの部屋で、きちんとカバーの掛かったベッドの上に、二人は並んで座っている。
特徴的なケースはひと目で中身が指輪だと判る。
嬉しそうに口許を綻ばせた珊瑚がそっとそれを開けた。
「まさか、先輩が本当に指輪をくれるとは思わなかった」
ただし、約束の婚約指輪ではない。
つきあってやっと一ヶ月という現状では互いの――特に珊瑚の――家族を戸惑わせるだけだろうと、婚約は二人だけの約束事にとどまっている。
珊瑚がまだ学生であることへも配慮したつもりだ。
それでも、ホワイトデーに指輪を贈ることに弥勒はこだわった。
はにかみながらケースから取り出した指輪を自らの指にはめようとした珊瑚を、ふと、弥勒が制する。
「珊瑚、私が」
珊瑚から指輪を受け取り、彼女の左手の薬指にそれをはめてやった。
この日、二人で選んだ小さなルビーの指輪は、可憐で上品なデザインで、ほっそりとした珊瑚の指によくなじんだ。
「よく似合っています」
指輪をはめた左手を顔の前にかざし、指輪を見つめて珊瑚は微笑む。
「嬉しい。こういうのもらうと、なんか、本当の彼女みたいだね」
「彼女ですよ。間違いなく」
苦笑する弥勒を顧みて、珊瑚は無邪気に言葉を続けた。
「だって、友達だった頃とあまり変わらないんだもの。でも、これでやっと弥勒先輩の彼女になれた気がする」
「では、そろそろいいですか?」
「何が?」
「キスしても」
悪戯っぽく言う弥勒の顔を見返す珊瑚は、一瞬、眼を見張り、固まった。
「わざわざ訊く?」
むしろ、つきあい出してからずっと、何故、彼はキスしてくれないのだろうと不安に思っていた。
そんな本心を知られまいと慌てて弥勒から顔をそらした珊瑚だったが、表情を読まれてしまったようだ。
「なんだ。待っていたんなら、言ってくれればよかったのに」
「!」
頬が熱くなり、言い返そうと珊瑚が弥勒のほうを向いた刹那、――肩を抱かれ、唇を奪われた。
ほんの二、三秒、触れるだけの軽い口づけ。
珊瑚に対しては急いてはいけないと思っていた。
キスひとつでも、慎重に構えてしまう己がいる。
それだけに、彼女が待っていてくれたことがすごく嬉しい。
唇が離れると、珊瑚は恥ずかしげに微笑し、うつむいた。
「信じられない」
「何がです?」
「弥勒先輩があたしの部屋にいて、こんなに近くに座って、キスしてるなんて」
ちらと彼を見遣り、「彼女になったんだ」と再び珊瑚はつぶやいた。
「なんだか、嬉しすぎて実感わかない」
「じゃあ、キスの先もしちゃいましょうか。ちょうどベッドの上にいることですし」
「……」
冗談とも本気ともつかない弥勒の言葉に、珊瑚の表情がたちまち困惑したようなものになる。
「先輩。もう帰っていいよ」
「でも、夕食を一緒に食べるつもりだったんでしょう?」
「……どうして?」
探るように珊瑚が弥勒へ視線を向けると、彼はキッチンのほうを指差した。
「鍋の中にロールキャベツが。あれはどう見ても二人分でしょう」
「いっ、いつの間に! 人んちのキッチン、なに勝手にチェックしてんの!」
珊瑚の抗議をさらっと無視し、弥勒は鷹揚に微笑んだ。
「美味しい店を見つけたので食事に誘おうかと。でも、珊瑚の手料理に勝るものはありませんから、それはまた今度にしましょう」
「……先輩はほんと、おだてるの上手だね」
毒気を抜かれたように、珊瑚は小さく吐息を洩らした。
「そうだ、コーヒー淹れるね」
左手の指輪に愛おしむような視線を落とし、珊瑚はキッチンに立った。
そんな彼女の後ろ姿を見つめ、弥勒はベットの上に無造作に寝転がる。
――この天井を珊瑚はいつも見ているのか――
確実に近づいている自分たちの距離に手応えを感じる。
眼を閉じていると、ほどなく、コーヒーメーカーからいい香りが漂ってきた。
Fin.
後日譚/鍵偏
2010.2.22.