紅珊瑚の姫 −第三話−

(あれは珊瑚……?)
 まさに瓜二つといっていい。
(いや、しかし──まさかな)
 その娘が数人の男たちにかしずかれて輿に乗り込む様を見た弥勒は、人違いだろうと考えた。
 楓の代理としてこの城下町のある商家へおもむいた弥勒は、その日のうちに、老いた主人にとり憑いた妖をいとも簡単に退治してのけた。
 それが昨夜のことである。
 その商家の奥方が楓の村の出身であったため、楓に助けを求めようと使いが出された。
 が、巫女は不在で代わりにやってきたのはかなり若年の法師。
 心配げな家人をよそに法師は淡々と仕事をこなし、見事に怪異を治めた。
 若さに似合わぬ法力を目の当たりにした奥方はたいそう喜び、礼金もはずんでもらったので、幾ばくかは路銀の足しになるだろう。
 つい今しがた、その家を出た弥勒は、せっかく町まで来たのだから村へ帰る前に何か珊瑚に土産でもと町をぶらついていた。
 行き交う人のざわめきを聞き、何気なく振り返った。
 すれ違った若者たちの会話が聞くとはなしに耳に入る。
 なんでも、この辺りでは見かけない妙齢の美女がかなり長い時間、町をうろうろしているという。
 美女という言葉に興味を引かれ、つい、人々のざわめきを追い、それらしい女人の姿を探している自分に弥勒は苦笑した。
 ここに珊瑚がいたら、また何を言われるか。
 しかし、美女という単語に反応するのはただ美しい女性の姿を愛でたいだけで、それ以上の気持ちはないのだと説明しても、彼女は聞く耳を持たないだろう。
 怒った珊瑚の顔を思い浮かべ、弥勒はくすりと頬を緩めた。
 彼女は特別な存在で、他にどのような傾国が現れようと、この気持ちが揺らぐことはないのに。
 そんなことを考えながら歩いていて、ふと、目に留まったのが、見慣れない形の着物を着た幽艶な姿の娘であったのだ。
 遠目だったが、立ち姿が珊瑚そっくりだと思った。
(しかし小袖が……)
 珊瑚のものではない。
 髪形や着ているもので判断すると、その女人はただの村娘には見えなかった。
(身分ある人の御忍びだろうか)
 だが、妙に気になる。
 不意に娘が顔をあげ、見えた横顔が珊瑚そのままだったので、思わず彼女の名を叫びそうになった。
 これほどまでによく似た他人がいるだろうか。
 その娘と自分を隔てている人の波を掻き分け、そちらへ向かおうとしたとき、別の人間が彼女を呼び止めたことに気づいた。
 町人に身をやつしているが、武士らしいとひと目で解った。
 ここが城下である以上、城に仕える人間だろう。
 その男たちと珊瑚にそっくりな娘が何か言葉を交わしている様子をじっと見守っていた弥勒は、やがて娘が輿に乗り込んだのを見て、あれはやはり珊瑚ではなかったのだと嘆息した。
 城に関係のある姫君か何かであろう。
 何故か、無性に珊瑚の顔が見たくなった。
 どれだけ似ていようと、美しく着飾った別人ではなく、簡素な衣をまとっていても誰よりも美しい表情を向けてくれるただ一人の娘に逢いたかった。
「……土産より、早く帰ってやったほうが喜ぶだろう」
 しゃら、と錫杖の輪を鳴らし、再び歩き出そうとしたところで、突然、名を呼ばれた。
「弥勒ー!」
「ん?」
 この声は七宝?
 何故、七宝がここに?
 きょとんと足を止めて振り返った法師の眼に、仔狐を背に乗せた大きな猫又が突進してくる姿が映った。
「七宝? ──それに、雲母」
 このような町中で変化するか、と法師は苦笑いを浮かべる。
 焔をまとう妖獣の姿に町の人々は恟然と身をすくませ、波が引くように彼らに通り道を作っている。
「やっと見つけたぞ! どこへ行っておったんじゃ、弥勒」
「どこって……」
 法師のそばまで来た七宝がひょいと猫又から降りると、雲母は変化を解いて小猫の姿に戻った。み、と鳴くその頭を仔狐が撫でる。
「おお、えらいぞ、雲母」
「何やってるんですか、おまえたちは。珊瑚と一緒に楓さまの留守宅を預かっていたはずでしょう」
「犬夜叉とかごめが帰ってきたので、弥勒を迎えに来たんじゃ」
「え? では、珊瑚も?」
 浮き立つような気持ちを抑えて弥勒は周囲を見廻した。が、どこにも求める娘の姿はなかった。
「それがのう」
 と、七宝が疲れたようなため息をつく。
「弥勒を見つけたというのに、今度は珊瑚がどこかへ行ってしもうた」
「はぐれたのか?」
「ついさっきまで一緒に弥勒を捜しておったのに……はぁ。まあ、今日の珊瑚は目立つ格好をしておるから、すぐ見つかるじゃろ」
「目立つ? といいますと?」
 七宝は片手を伸ばして、もう片方の手で伸ばした腕の下に四角を描いてみせた。
「こーんな長くて四角い袂の、そうじゃな、殺生丸の衣の袂に似た形の白地の着物を着て、腰の後ろにこーんな大きな蝶々がとまったような形の帯を締めておる」
「白地の着物に大きな帯……? 髪はおろして?」
 つぶやく法師に仔狐は得意げに破顔した。
「かごめが国から持ってきた着物を珊瑚に着せたんじゃ。珊瑚は弥勒に見せるためにここまで来たんじゃが、それはそれは綺麗でのう、道行く人がみな振り向いて」
「では、さっきの娘はやはり珊瑚……」
 しかし、七宝の話からすると、何故、彼女は輿に乗って行ってしまったのだろう?
 腕を組み眉をひそめていた弥勒は、仔狐と猫又を交互に眺めやった。
「して、雲母が私を見つけたのか?」
「抹香の匂いと女たらしの匂いといかさま師の匂いと助平の匂いを嗅ぎわけたんじゃ。雲母はすごいじゃろ」
「何ですか、その失敬な識別の仕方は」
「いや、おらが言ったのではなくて珊瑚が」
 露骨に顔をしかめる法師が横目で睨んできたので、仔狐は語尾をこくんと呑み込んだ。
「では珊瑚を探そう。雲母、ご苦労だが今度は珊瑚の匂いを辿ってくれ。七宝、また珊瑚と行き違いになると困るから、おまえは町の出口で待っていてくれるか」
「解った」
 珊瑚について町中を歩き廻り、ここに来るまで相当疲れていた七宝は、彼女のことは法師に任せ、待ち合わせの場所で彼らが珊瑚を連れてくるのを待つことにした。

 長野家の居城に案内された珊瑚は、自分に対する尋常ではない城の者たちの丁寧な態度に、内心、面食らっていた。
 彼女がいくら妖怪退治屋という生業に誇りを持っていたとしても、所詮、身分の高い者たちから見れば下賤の者といった認識しかないはずだ。
 そういう社会制度なのだし、その辺は珊瑚も割り切っているが、それにしても、今日のこの城の対応はいったい何なのだろう。
 首をひねりながらも珊瑚は通された一室に折り目正しく正座して、依頼主を待っていた。
 広間ではなく、城主か、それに準ずる立場の者の私的な居間といった雰囲気の部屋である。
 このような私室といってもいい部屋に通されるのは、やはり城内においても退治屋を呼んだなどということは知られたくないのだな、と珊瑚は漠然と考えた。
 ほどなく、控えめな咳払いとともに襖が開かれ、一人の青年が姿を見せた。
 一瞥し、青年の身なりやその立ち居振る舞いから、珊瑚は瞬時に相手がどのような身分の者であるかを看破した。
(城の若君か。おおかた、お殿様に内緒で妖怪がらみの不始末をしでかして、それを内密に処置してほしいといったところだろう)
 しとやかに手をついて軽く頭を下げる珊瑚の前に腰を下ろした青年は、人懐こい笑みを浮かべて、目の前の娘を見つめた。
「よく来てくれた。私は長野伊織という。この城の嫡男だ」
 顔をあげ、怖じることもなくこちらを見返す娘の顔を正面から見た伊織は感嘆のため息を洩らした。
 近くで見ると、なお美しい。
「珊瑚といいます。内密にお話があるとのこと。すぐには応じられませんが、お話をお聞きします」
「すぐには無理ということは、考えてもらえる余地はあるということだな」
「はい。それがあたしの仕事ですから」
「仕事?」
 伊織は怪訝な表情を浮かべたが、すぐに思い当たるふしがあった。
 戦乱の世にあって困窮した公卿たちが都落ちし、力のある大名のもとへ食客として身を寄せることがあるらしい。
 そんな公卿たちは、娘を売って大名の庇護を得る。
 この気高く美しい娘も、そんな境遇にあるのだろうか。
「失礼ですが、珊瑚どの。お父上は……」
「父も母も、もうこの世には」
 珊瑚はこの若者が何故そんなことを訊くのか解せなかったが、対する伊織は、彼女を高貴な生まれながら身寄りを亡くし、どこかの大名の妾として生きていくしか術のない薄倖の姫君と決めつけてしまったようだ。
 このように楚々とした美女が好色な権力者の妾の一人にされてしまうのかと思うと我慢がならなかった。
 どうしても自分の手で守ってやりたい。迷うことなどない、己の室になってもらえばよい。
「珊瑚どの」
 伊織はしみじみと言った。
「行くところがないのであれば、この城へ身を寄せぬか? 私ならそなたを大切にする」
「大切? ありがとうございます……? でも、あたしには仲間がいるから大丈夫です。それより、あの、あたしの仕事について話を聞きたいんですけど」
 ここでまた、伊織は小さく首を傾けた。
 公家の姫は遠回しに物を言うと聞いたことがあるが、どうも、この娘はせっかちらしい。こういう手合いにはもっと直接的にこちらの希望を伝えたほうがよいのか。
「仕事……そなたの仕事な」
 後ろ楯のない公家の姫では正室として迎えることは難しい。戦を有利に運ぶため、その一手段である政略結婚のために正室の座は空けておかねばならないだろう。
 しかし側室であっても、世継さえ産めば、その母として家中に確固たる地位を築くことができる。
 それこそが武家の室としての最大の仕事ではなかろうか。
 伊織は座っていた場所から膝を進め、両手で珊瑚の手を取って握りしめた。
「そなたの仕事は私の子を産むことだ」
「……はあ、子供……って、はあっ?」
「それもできるだけ早く、たくさん産んでもらいたい」
「……」
 しばし思考停止していた珊瑚は、どこぞの法師が頻繁に口にする科白を聞き、思いきり不愉快そうに眉根を寄せて、自らの手を握る若君の手を見た。
 初対面の女にこんなふざけたことをぬかすのはあの法師くらいだと思っていた彼女の常識が音を立てて崩壊した。
「ちょっと待って。それが仕事だっていうの?」
「そうだ。私の室になり、私の子を産んでくれ」
 肺の中の空気を全て吐き出すように、珊瑚は長い長いため息をついた。
「あの、若様」
「なんだ?」
「それはあたしの仕事ではないので、これで失礼します」
 冷え冷えとした笑顔で冷やかに宣言すると、ふんっと伊織の手を振りほどき、珊瑚は立ち上がった。
「いや、待ってくれ、珊瑚どの! これは決して浮ついた気持ちで言っているのでは──
「お・こ・と・わ・り・し・ま・すっ。他を当たってください」
 襖を開け、とっとと退室した珊瑚を追って伊織もまた部屋を出る。
 と、不意に珊瑚が足を止めて振り向いたので、伊織は彼女にぶつかりそうになって頬を赤らめた。
 意を翻してくれたのかと喜びかけたとき、眉をひそめたまま、彼女は淡々と問うた。
「あの、出口どこ?」
 肩を落とした伊織がそれでも彼女を引き止める口実を頭の中でめまぐるしく考えていると、廊下をばたばたと慌ただしく駆けてくる左近の姿が視界に入った。
「何事だ」
「妖怪です! 城内に妖怪が現れました!」
「なんだと……?」
 驚く伊織の傍らで珊瑚が心の中で舌打ちをする。──そっちをさっさと言えと。
「腕に覚えのある者たちに応戦させます。若、若は姫の御身をお守りください」
 珊瑚はにわかに騒々しくなった城の廊下を見渡した。
 この城には守らなければならぬ姫君がいるのか。では、そちらを先に安全な場所へ誘導しなければ。
 だが、左近に対し「解った」と応じた伊織は、珊瑚の腕を掴んで、左近がやってきた方向とは反対へと踵を返した。
「あの、ちょっと、若様。妖怪のことを詳しく聞きたいんだけど」
「大丈夫だ。城には歴戦のつわものがそろっておる。珊瑚どのの身は私が守る」
 彼女の腕を引っ張って足早に進む伊織の的外れな答えに、へ? と珊瑚は頓狂な声を返した。

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2008.4.20.