紅珊瑚の姫 −第六話−

 夕暮れの商家の店先、表の扉は大きく開放され、興味津々の使用人たちはもとより、建物の外にも黒山の人だかりができていた。
 見世の間の土間に、若い武士を従えた中年の男が厳めしい面持ちで立っている。
(あ、この人……)
 珊瑚はその人物に見覚えがあった。
 彼女を城に連れていった、確か、左近と呼ばれていた武士だ。
 左近は家の奥から出てきた弥勒と珊瑚をちらりと見遣ったが、全く違った印象の衣をまとっている彼女を、自ら輿に乗せて城へ招いた娘だとは気づかないようだ。
 弥勒は店の前に集まっている町の人々の中に若い娘がやけに目立つことを不審に思い、店の内にいる左近のほうを覗き込んでいるその中の一人に声をかけた。
「いったい何事です?」
「お城の若様が御方様を捜しているんですって」
「御方様? 若君の奥方様をということですか?」
 その町娘はやや興奮気味に首を横に振った。
「これから奥方様になられる方。なんでも、玉簪の持ち主だと名乗り出れば、若様のご正室になれるんですって」
「は?」
 弥勒は怪訝な表情で見世の土間に下りた珊瑚を振り返り、町娘に視線を戻した。
「では、あなたが名乗り出れば、あなたが御方様になれるのでは?」
「あたしもだけど、ここにいる娘はほとんどみんな、そう言ってみて、駄目だったのよ」
「はあ」
 弥勒は呆れた声で相槌を打つ。
「だから、気になるでしょう? いったい何が決め手なのか」
「そうですな」
 この時代、簪を挿す娘は珍しい。
 そして、簪を落としたのは珊瑚なのだから、若君が捜しているのは珊瑚に違いないのだろうが、武士は彼女を見ても何も言わない。
 珊瑚と一緒に出てきたこの家の奥方と向き合っていた。
「実はある娘御を捜して、城下の家々を一軒ずつ廻っておる。玉簪を挿していた娘御でな。その者に関する情報を何でもよい、知っていることを申し出れば、褒美を取らせるとの若君からのお達しじゃ」
 おそらく、同じ口上をもう何度も繰り返しているのだろう。
 威厳を保ちながらもいささか疲れたような声で、左近は言った。
「ええ、手代からうかがっております。で、その簪ですが、この娘の落とし物かもしれません」
 おっとりと応じ、珊瑚のほうへ奥方が視線を向けたので、左近も彼女に眼をやった。
「娘。そのほうが簪の持ち主と申すか?」
「えっ、あの、あたしの物じゃないんだけど、あたし、この町で玉簪を落としちゃって」
 ほう、と左近は疑わしげに珊瑚を見遣る。
「……ほら。ここまではみんな一緒なのよ。このあと、試されるの」
 店の外から事の成り行きを見守っていた町娘が、そばにいる法師に声を潜めてささやいた。
 すでに幾人もの娘が簪の持ち主だと名乗り出ているらしいから、武士はまたかと思っているのだろう。
「久秀、簪をこれへ」
 若い武士が恭しく捧げた桐の箱を、左近は珊瑚に差し出した。
「この簪の持ち主を捜しておる。これは、そちの物か?」
 商家の者、店の前に鈴なりの野次馬連中、みなの好奇の視線を一身に浴び、珊瑚は躊躇いがちに箱の中をそろっと覗いた。
「あ……あれ? これ違う」
 箱に納められていた簪は、形や大きさこそ似ているものの、玉は珊瑚ではなく玻璃であった。
 珊瑚は戸惑いを隠せない様子で、申しわけなさそうに左近を見た。
「ごめん、これ、あたしのじゃない。あたしが捜している簪は、紅珊瑚だから」
 左近がはっとしたのが、店の外にいた弥勒にも解った。
 慌てた法師が大勢の人を掻き分けて店内に戻ろうとしたとき、左近は思わず大声を上げた。
「この方じゃ! この方が、若がお捜しの姫御前じゃ」
「え?」
 珊瑚は眼をぱちくりさせている。
「久秀、すぐさま、若にご報告を!」
「はっ!」
 命令を受けた若侍が外へ走ると、左近は珊瑚の顔をしげしげと眺めた。
「あの──左近さま、ですよね?」
「私の名を?」
「あたしを呼び止めて輿に乗せたでしょう? 覚えてませんか?」
 穴のあくほど珊瑚を見つめ、左近は小さく「おお!」とつぶやいた。
「おお、確かに。あのときの姫御前じゃ。お召し物が違うので、気がつきませなんだ」
「じゃあ、簪は左近さまが持ってるんですね? 城に忘れた草履と一緒に返してもらえるかな」
「それはもう。陽が落ちる前にお会いすることが叶い、若もさぞ喜ばれることでしょう」
 訝しげに左近と珊瑚を見比べ、彼女のそばまで来た弥勒は二人のやり取りに眉をひそめる。
「珊瑚、姫御前とはどういうことです」
 けれど、彼女が弥勒の問いに答えるより早く、その場が大きくどよめいた。
「珊瑚どの!」
 弾んだ若い男の声が響き渡り、駆け寄ってきた青年に珊瑚はあっという間に両手を捉えられてしまった。
「心配したぞ! ああ、しかし、そなたが無事でよかった」
「若様。どこから湧いて出て……あ、いや」
「そなたを見つけたらすぐ城へ連れて帰ろうと、輿に隠れてすぐ外にいた」
 珊瑚が若様と呼ぶその青年を、弥勒は、面白くなさそうに冷ややかな目付きで眺めやる。
「ほお。この御仁が、初対面のおなごの尻を触ったり、いきなり子を産んでくれと迫ったりするふざけた若君ですか」
「……法師さまが言っても説得力ないよ」
 だが、そんなことよりも、自分以外の男に手を握られて、しおらしげに頬を染め、恥ずかしそうにしている珊瑚の様子が気に入らない。
 自分と同じくらいの年頃の若君が、それなりに女好きのする風采であることも気に食わない。
「あの、ごめんなさい、若様。あたし、依頼された仕事も放り出して、無断で帰っちゃって」
「なんの。こうして再会できただけで、私は嬉しい。運命すら感じておるぞ」
 なーに歯が浮くような科白をぬけぬけと! と言いたいところを弥勒はぐっとこらえた。
「仕事を放棄したことは謝るよ。あたしのしたことも許してくれるとありがたいんだけど……」
 珊瑚が赤面しているのは若君という身分の伊織を足蹴にした無礼を恥じているからで、早く詫びなくてはと慎重に言葉を選んでいた。
 彼女の両手は、依然、伊織に握り締められたままである。
(いい加減、その手を放しやがれっ!)
 そうした彼女の表情や挙措、いきなり目の前に現れた青年の珊瑚に対する馴れ馴れしさが、弥勒には全く以て不愉快だった。
「私の顔を蹴ったことか? 気にしておらん。むしろ、ますますそなたに興味が湧いた」
 じっと珊瑚の顔を見つめる伊織の横顔を、睨み殺さんばかりの勢いで弥勒が睨めつけていることなど、伊織は蚊ほどにも気にとめていない。
「美しいだけではないそなたが気に入った。ぜひ、我が室として迎えたい」
「あ、あたしは女らしくないし、身分違いだし、そんな柄じゃないし、若様にはもっと他に……」
 話がまた彼女の苦手とする方面へ流れそうになったので、珊瑚は思わず逃げ腰になったが、相手のほうが遙かに饒舌だった。
「側室ではなく、正室にしよう。なに、有力武家の娘でなくとも、父上を説き伏せてみせる」
「あたし、城でお断りしますって言ったよね……?」
「子をなしてしまえば父上も認めてくださると思うのだ。父上は一日も早く跡取りと孫の顔が見たいと仰せだから、男児が生まれれば文句はなかろう」
「ほ、法師さま……」
 すがるような眼で、珊瑚は傍観者と化している弥勒に助けを求めた。
 野次馬の数はさらに増え、まるで見世物のようになっていることも弥勒は不本意だったが、とりあえず、ここは珊瑚の窮地を救うことが先決だろう。
 煮えくり返るような腹立たしさを無表情で覆い隠し、手を取り合う伊織と珊瑚に、つ、と近づくと、法師は彼らの間にすっと錫杖をおろして二人を隔てた。
「とりあえず、手をお放しください。珊瑚が困っています」
 彼女の手を握る伊織の手首に錫杖をぴたりと当てる。
「無礼者。何をする」
 邪魔をされた形の伊織は不満げに手を放し、胡散臭そうな眼を法師に向けた。
「何の権利があって口をはさむ。そなた、珊瑚どのの何なのだ」
「あなたこそ珊瑚に言い寄る権利などないでしょう。私は珊瑚の」
 弥勒は珊瑚をちらりと見遣り、最も効果的な言葉は何かと考えた。
 許婚? 風穴が消えたあととの条件付きではあるが、そう言っても差しつかえないだろうか。
 恋仲? などと言って、恥ずかしがる珊瑚に、もし否定でもされたら立つ瀬がない。
 いっそのこと、夫? とか言い切ってしまったら、こいつもさっさと珊瑚を諦めるか?
──法師さま。その長すぎる“”は何なの?」
 すがるようだった珊瑚の表情がだんだんと険を帯びていき、法師は空咳で誤魔化した。
 そうだ、将来を誓った仲。よし、これがいい。これなら表現も無難だし、嘘偽りもない。
「私と珊瑚は将来を」
「法衣に錫杖。ということは、妖怪を操り、珊瑚どのを拐した法師はおまえか!」
 言葉を発したのはわずかに伊織のほうが早かった。
 これにはさすがの弥勒もぶちギレた。
「拐す? 珊瑚を拐したのはそちらでしょう! 妖怪退治の依頼を装い、天守などに幽閉して」
「そんな依頼などしておらん! 最初から私の妻になってもらいたくて城に招いたのだ」
「え──? 妖怪退治の依頼じゃなかったの?」
 睨み合う法師と伊織から傍らの左近へと、珊瑚は驚いて視線を移した。
「は。妖怪退治などとはひと言も申してませんが。何ゆえ?」
「あたし、妖怪退治屋なんだ」
 なるほど、と左近はつぶやく。
「ですが、あのような姿の娘御を、まさか妖怪退治屋などと思う者はおらんでしょうな」
 面白そうに見返され、珊瑚はきまり悪げに頬を染めた。
「若様、法師さまも、もうやめて。なんか悪いのはあたしみたいだから。若様、城に出た妖怪、あれ、法師さまが操っていたんじゃなくて、法師さまと一緒にあたしを迎えに来てくれただけなんだ」
 今にも掴み合いを始めそうな二人の間に割って入ると、珊瑚は後ろを振り返って「雲母」と呼んだ。
 商家の家人に遊んでもらっていた雲母が、とことこと珊瑚の足許に進み出る。
 彼女の合図で小猫が巨大な妖獣に変化してみせると、若君や従者や店の者、見物している人々の間からも驚きの声が上がった。
「ね? この子、猫又なんだ」
「そういえば、初めて珊瑚どのを見かけたとき、隣に大きな獣がいたような……」
 言いようのない脱力感を覚え、伊織は大きく息を吐いた。
「では、珊瑚どのは私の話を全然理解していなかったというわけか」
「……若様もあたしの話、全然聞いてなかったよね」
「ならば改めて。身分など問わぬから、正室として私のもとに来てくれぬか」
 再び伊織が珊瑚の手を取ろうとするより早く、彼女の腕を掴んだ弥勒がその身を引き寄せた。
「法師。いちいち邪魔をするな。おまえには関係なかろう」
「大ありです。珊瑚の嫁ぎ先はもう決まっておりますから」
「ま、まさか、許婚が……?」
 驚きと落胆に顔を曇らせた伊織が彼女を見ると、法師に寄り添う娘ははにかんだように眼を伏せた。
「とにかく! すでに珊瑚は私! と将来を誓い合っておりますから、横恋慕するな! ということです。どうぞお引き取りください」
 しかし、それでも若君はしつこかった。
「珊瑚どの、それでいいのか? 後悔はしないか? 私に乗りかえる気はないか?」
「どーゆー意味です」
 憮然とする法師の隣で珊瑚は顔を上げ、若君に小さく微笑みかけた。
「あたしにはこの人だけ……この人が、とても大切なんだ」
 そうつぶやいた珊瑚は、華やかな着物をまとっていたときよりも何倍も美しく、輝いて見えた。
「……そうか。解った」
 残念そうに淋しそうに、そしてひどく名残惜しげであったが、伊織は彼女にゆっくり告げると、
「城へ戻る」
 と左近や久秀に言い渡し、人々が見守る中、踵を返そうとした。
「あ、待って」
 そんな伊織の背を珊瑚の声が追ったので、やはり彼女も未練が? と少し期待して振り向くと、彼女が声をかけた相手は左近であった。
「簪と草履、ちゃんと返してくださいね」
 はいはい、と苦笑しながら答える左近を横目に肩を落とした伊織は、はああ、と思いきり大きなため息をこぼすのだった。

 いつしか、すっかり日も暮れていた。
 行灯に火が灯され、弥勒と珊瑚、そして雲母は、結局、この商家で夕餉をご馳走になった。
 「面白いものを見せてもらったわ」と、奥方はにこにこしている。
 夕方の騒ぎを家人にさんざんからかわれ、囃したてられ、珊瑚は真っ赤になって小さくなっているし、大人げなかったと弥勒も表面的には殊勝な表情を作っている。
 遅くなったから泊まっていきなさいと奥方が勧めると、やや照れたように顔を見合わせ、二人は幸せそうに微笑みを交わした。

* * *

「へえ。そんなことになってたんだ」
 翌日、楓の村に戻ってきた弥勒と珊瑚から事の顛末を聞いたかごめは、くすくすと無邪気に笑う。
「あたしも見たかったなー。珊瑚ちゃんを巡っての三角関係」
「笑い事じゃありません。大変だったんですから」
 かごめは笑いながら、平たい長方形をした物を弥勒に差し出した。
「お疲れさま、弥勒さま。あたしからのプレゼントよ」

「かごめちゃんに何もらったの?」
 弥勒と二人きりになると、少しそわそわと、遠慮がちに珊瑚が問うた。
 彼がかごめから受け取ったそれを目にしたときの表情が、ずっと気になっていたのだ。──どこまでもやさしげで、心の底から愛しいものを見つめるような。
「気になりますか?」
 含み笑いを浮かべ、弥勒が懐から二つ折りの革のフォトフレームを取り出して手渡すと、珊瑚はそうっとそれを開いてみる。
「え、これって」
 眼を見張る彼女の顔がさっと耳まで薄紅に染まった。
 フォトフレームに収まっていたのは、ほんのりと頬を染め、ややうつむき加減に立つ彼女自身。
 白地に芽吹き柳をあしらった着物姿の珊瑚の、一枚は全身を写した写真。もう一枚は、少し睫毛を伏せた横顔のアップだった。
「やっやだ、かごめちゃんたら」
「珊瑚、この着物はどうしました?」
「玉簪はかごめちゃんの母上の物だから返したけど、他の物は大切にとってあるよ」
「では、いつか」
 法師はやさしい眼差しを写真の中の娘に向けた。
「いつか、私だけのために、またこの着物を着てください」
 ね? と念を押すように微笑みかけられ、一瞬、その顔に魅せられた珊瑚は、すぐに我に返ると、うん、と法師から顔をそらして小さくうなずいた。
 彼のためだけに白い衣裳で身を飾る。
 それは彼女に白い花嫁の装いを連想させ、うつむく花顔に、風に舞う花びらのように仄かな微笑が揺らめいた。

≪ 第五話 〔了〕
おまけ 

2008.5.17.

ベースは「シンデレラ」。ガラスの靴は珊瑚の簪。